2015年11月30日月曜日

元理学療法士

昨夜はこんなブログを書いたんですが、同じシンポジウムの中で、協会長が「開業」という言葉を使って治療院をやっている理学療法士は保健所に摘発されて免許を剥奪されるかもしれないぞという趣旨の話をしておられました。でまぁそのときちょっと思ったんですが、開業する人たちにとって「理学療法士」という肩書きはそれほど重要なものなんですかね。市場価値がどれだけあるかということなんですけど。一般(大多数)の患者さんにとってみれば、理学療法士や柔道整復士や整体師といった治療家の見分けはつかないんじゃないでしょうか。ま、理学療法士はリハビリの先生というイメージがあるだろうから、脳卒中のリハビリを必要とする患者さんなどには他の専門家よりもその肩書きによって信用されるところはあるだろうけど、腰痛とか肩凝りとか捻挫とかだと、それほど優先的に選ばれるということにもならないんじゃないかと思う。もし協会長の言うことが本当で免許が剥奪されるとしたら、また病院に戻って理学療法をやるかもしれない人たちにとっては不利になるけど、自営(保険適用外)でやっていくと決めた人ならそれほど問題にもならないんじゃないか。肩書きを外せばもうアレコレうるさいことを言われなくても済むだろうし、世間的には「元理学療法士」で通せば良いじゃないですか。別に技量が落ちて理学療法士でなくなったわけではないし、「理学療法士が開業する時には資格を捨てる決まりになってるんですよ」って患者には説明すれば良いと思う(笑)。僕がなぜこの手の話に時どき首を突っ込むかと言うと、法的にも興味のあるところだし、基本的には開業する人たちは国民のためになることをしようとしていると思うからです。国もできればそっちの方向に誘導したいわけだしさ。

2015年11月29日日曜日

年収倍増計画

この週末は四国での理学療法学会に参加しました。うちのラボのメンバーである山崎倫先生の地元、松山市での開催で、合宿ラボミーティングを兼ねての遠征です。今年、東京であった全国理学療法学会での研究報告の続編で、また一つこのラインでの実績を積み重ねました。そして今朝は理学療法士協会長、連盟会長、連盟輩出国会議員の先生方を交えての政治的シンポジウムがありました。「政治的」というのは、いかにして理学療法の単価を上げていき、また職権を拡張していくかということです。理学療法の単価は自分たちで勝手に上げることはできません。また一日に提供できる数量も勝手に増やすことはできません。それらはすべてお役人が決めることです。我々理学療法士に出来ることは彼らにお願いすることです。来年には参議院選挙があり、また新たに一人、議員を輩出し、お願いを強力にする。そんなことがテーマであったかと思われます。実際には単価を上げるどころか、どうやって引き下げを食い止めるかといった防戦を強いられているようなのですが、全体的に今いち捉えどころがないというか、目指すところが絞り込まれていないというか、「ビッグチャンス」と言うけれどそれがどんなチャンスなのか議員の先生もはっきりとは答えられないご様子でした。要するに理学療法士みんながピンからキリまで知覚できる分かりやすい目標がないんだよね。船の行き先が不明だから、そこから降りてボートで漕ぎ出す人たちが出てきても何ら不思議なことではない。いっそのこと、理学療法士の「年収倍増計画」とか、バーンと打ち出して欲しいですね。

2015年11月27日金曜日

意味ないやん

昨夜は久しぶりに親父と会って話をした。まだ両親は健在です。二人とも80歳を超えましたけどね。僕は長らく外国にいたし、過去20年くらいあまり話す機会もなかったのですが、来る時が来る前にできるだけ昔話(桃太郎の話とかじゃないですよ)をしようと思っています。僕は思うんだけど、親が年取ってからの親孝行も大事でしょうが、子供が成熟して独立するまでの間に互いが共有できる記憶をどれだけ作れるかもとても大事なんだよね。心理学的にどうかは分からないけど、昨日彼らと話をしていてそう思った。。。親父との話の中には今のご時世みたいことも出てきたのですが、戦後しばらくは終身雇用が機能していて良い大学を出て大きな会社に入ればいろいろと安定していたわけですが、今じゃもう完全にそういう筋書きは描けなくなってるよな。会社がどれだけ大きくてもいつ傾くか分からんしね。みたいな話です。戦後、世の中自体は今よりも混乱してたけど、個人の生活は昔の方が安定してたなぁ、って。勤め人で人生が安定してなかったら勤める意味ないやん、って、自営をしてきた親父は語るのでした。

2015年11月26日木曜日

ヒト脳の解析とリハビリテーション

今日は出先の通信速度が異常に遅いのでiPhoneからの投稿です。たくさんタイプするのは身体に悪いので要点だけ書きます。

今朝、CBRのFBページでアナウンスしましたが、来年2月14日(日)に神戸学院大学でCBR シンボジウムを開催します。

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 第1回CBR シンポジウム
 〜ヒト脳の解析とリハビリテーション
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開催:2015年2月14日(日)
会場:神戸学院大学ポートアイランドキャンパス

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スピーカーズ
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福岡国際医療福祉学院
玉利 誠

平成医療短期大学
河村 章史

かねこ整形外科
中野 英樹

摂南総合病院
菅沼 惇一

神戸学院大学
坂本年将

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ブログラムなどの詳細はまた追って。

脳機能の評価とリハビリテーションを繋ぐ丸1日のブログラムです。

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主催:脳とリハビリ研究所(CBR)

2015年11月25日水曜日

アウトですね。

昨日のブログでは正解を見つけること(人)と理解すること(人)について書きました。これって正解が分かってしまえばどちらも同じことを理解することになるのでそういうことに気を配らない人だとその違いが実感としてよく分からなかったりするのですが、実際には随分と違うんですよね。本物と偽物の違いはそこにあると言っても過言ではない。たとえば F = ma が意味することを多くの人は理解できるだろうが、誰からも教えられずにそれを自然現象の中に見い出すことは難しいですよね、ということです。なかには人の話を聞いて初めて理解の仕方や物事の切り取り方を学んだのに、しばらくするとそんなことなんてとっくに忘れてあたかも自分で着想を得たような物言いしてる人見かけますが、個人的にはそういう人はアウトですね。ひどい場合だと他人(ひと)が発表した論文や理論を紹介するのにあたかも自分がその事実を見つけ理論を構築したかのように錯覚してる人もいるようです(笑)。もちろん故意ではなく本気でそのことを忘れてしまっている人もいるんでしょうが、そういう人は簡単に忘れてしまうほどにしかそういうことに注意を向けていないわけで、どちらにしたところで、リスペクトの対象にはならないんですよね。なかなか難しいとは思いますが、そういうことも学生には伝えていきたいと思ってます。

2015年11月24日火曜日

何だ、そんなことか...

火曜の午後は「脳神経科学Ⅱ」という科目を2年生に教えているんですが、学生にはいろんな質問を投げかけます。少し難し目の質問にはボーナスポイントを付けています。たとえば毎回やる小テスト(10点満点)に5点のボーナスを加えるとか。大抵は何人かがこけた後にイイ線いってる(でも少しズレてる)解答が出て、その後ようやく正解が出て来るのですが、学生にとってみれば、正解はいつも「何だ、そんなことか...」といったものなのだろう。コレ、実社会の縮図だと思います。多くの人は「イイ線」まで行けるんだけど、質問にピタッと合った答えを出すとこまでは辿り着けない。そして、いったん正解が出てしまうとその正解を理解することは出来るのです。どちらが偉いって、そりゃ、最初に正解見つけた人でしょ。だからボーナスも問いに対する突破口を切り開くのにどれだけ貢献したかによって決まってきます。正解は理解するより見つける方が遥かに難しいんだってば。思えば学校では主として正解を理解することを教えてるんだよね。特に理学療法の学校教育では(実はその「正解」も怪しかったりするのだが)そうだと思う。

2015年11月23日月曜日

ほんと多いよね

世の中は連休で僕も今日はお休みだった。昨日は一日仕事していて、「え、大学の先生って休みの日は休みだと思ってました」とかこういう連休になると良く言われるのだけれど、そんなことは全くないです。結構、休みの日も仕事してます。基本的にどこか旅行に行きたいとか外国行きたいとか何も考えずにぼーっとしてたいとかそんな欲求はほとんどないので仕事してても全く苦になりません。もちろんやりたくない仕事はしたくないです。でも、やりたい仕事は休みの日でもしたいですよね。仕事って基本的にそういうものであるべきだと僕は思う。そしてそういう風にして仕事ができるように僕は若い頃から体制を整えてきた。そんなことを考えながら家族で温泉入ってたんだけど、行楽地に行くとほんと外国人多いよね。アジア人の顔した人、ほんと多いよ。今、日本で休日にこういうところで遊んでいる人や買い物している人の3割くらいはアジアの外国人じゃないかと思うくらい。大袈裟なことではなく、着実に世の中変わってきてるよなぁ。

2015年11月21日土曜日

「神戸」と言えば

今日は3週間ぶりのラボミーティング。学部生の研究進捗を確認して、院生とデータベース構築に向けての打合せをした。その他にも論文執筆の準備やら来年度の研究事業計画についての話やらをして、次から次へとやるべきことをビジュアライズ。来週末は愛媛での学会発表もあります。福岡での神経理学療法学会にも参加したかったところなのだけど、同じ日になっちゃんたんだよね。翌週は徳島でのCBRセミナーもあります。今日、来年のサッポロ学会の抄録査読を終えました。全部にコメント付けて返したので座長の先生方の参考になれば幸いです。僕らの抄録も今ごろ誰かの審査を受けているところなのでしょう。こうして見ると、何かいつの間にか完全に理学療法業界に復帰してますよね。まだ少し違和感はあるけど、そっちの方向に流れてきているのでこのまま進んで行きたいと思います。そのためには、今よりももっと露出して目立たないといけないですね。ひとまずの目標は、「神戸」と言えば「坂本」、「坂本」と言えば「CBR」、「CBR」と言えば「神戸」という連想を業界内で確立することです。ブランドイメージは異国情緒漂う港街。長崎から船に乗って辿り着く街です...。

2015年11月20日金曜日

異業種交流というか、

さて、今日の午後は「代替医学」の講義最終回がありました。糸井はりきゅう院の院長、糸井裕之先生に来学頂き、鍼灸の基礎と実践について講義して頂きました。最後は学生それぞれが自分の身体に鍼を刺してみて大いに盛り上がりました。数時間の授業でその真髄を体得するのは難しいでしょうが、こういう治療の仕方もあるということを見聞するだけでも意味はあると思います。この科目を3年前に始めた時は学生も今いちピンと来てない感じでしたが、統合医療とか治療院の開業とか、ここ数年の間にリハビリ士の世界でも段々話題にされることが増えてきて、学生の関心もそれに連動して高まってきているように思います。こういう異業種交流というか、学際的な学習の機会を設けることで、個人的にはどんどん垣根を取っ払っていきたいと思ってます。

2015年11月19日木曜日

お支払いします^^

今日はいつもより少し投稿が早いですね。僕にとってブログは一日の中でこなす最後の仕事なのでどうしても書き始めるのが深夜になるのですが、今日はなんだかスッキリ片付いて大学近くのカフェで書いています。。。さて、昨日の続きをちょっとだけ考えてみたいと思う。経済と子供と介護のお話。国の三つの重点項目なんですけど、コレ、経済が低調で(株価は倍になったが)子供が少なく老人が増えているということを端的に表しているんでしょう。子供と老人の方は育児支援と介護支援を強化してということなんでしょうけど、それを支える人たち(保育士さんとか介護士さんとか)の待遇が画期的に良くなるというわけでもないんでしょうから人はなかなか集まらないだろうし、サービスの数量を増やせたとしてもその質に期待することはなかなか難しいように思う。介護に関しては、理学療法士などのリハビリ専門職者にも何か効果的なことができれば良いのでしょうが、さて何が出来るんでしょう。このあたりの基本的なことまとめて教えて頂ける方おられましたら連絡ください。授業料はお支払いします^^

一億総幸福社会

先日からの話の続きしましょうか。元気の話です。最近、所々で「一億総活躍社会」という言葉を聞きますが、国民の側からすれば「一億総幸福社会」の方が良くないですか? そんなこともないのかな...。国にしてみれば、国民が幸せかどうかはさておき活躍してくれれば良いということなのかな...。年間GDP 600兆円、出生率1.8、介護離職ゼロを目指しそれを実現すると本当にみんなが気力に満ち溢れ幸せな生活を送ることができるのだろうか?GDP600兆円というと今よりも2割増しらしいのですが、これをこの数年でやるとなるとみんな猛烈に働かなくちゃいけないんじゃないの? 600兆円に達したら今よりもどれだけ幸せになるか(あるいは達しなかった時に命に関わるか)を国民が具体的にイメージ出来ないとなかなかそこまで働けないような気がするな。それなしに数値目標を掲げるとたぶん多くの人は病気になる...。要は「希望」の問題なんだろうね。雇用の創出の前に希望の創出を考えた方が良いかもしれない。

2015年11月18日水曜日

元気が枯れ行くメカニズム

昨日は「気力」の話をここでしたんですが、元気の出ない人って世の中にはたくさんいると思う。身体に病気があるわけではなくって、やる気がおきない人たちだ。その人たちの多くはたぶん本当は日々を気力満々で過ごしたいと思っているのだと思う。でもいつも気がつけば重いものがどっと心にのしかかっている。僕自身もこれまでの人生の中でときどきそんなことを経験してきた。だからやる気の出ない人たちの気持ちは(その原因はさまざまだろうが)分からないでもない。人を元気にする仕事(自己啓発系やら癒し系やら)の需要が絶えないのは当然のことだろう。ま、そのほとんどは一時的な気休めに過ぎないのだろうけど。。。元気が枯れ行くメカニズム。関心事の一つです。

2015年11月16日月曜日

気分が沈んだら

今日はなぜだか気分が沈んで仕事をするのが辛かった。特に何があったというわけではないんですが、エネルギーが湧いて来ないんですよね。皆さんもそういう一日を過ごす時があるのではないでしょうか。こういうメンタルの上下動とどう付き合うかは人が生きて行く上でとても大事なことで、大袈裟に言えば、その人が幸せな人生を送れるかどうかを決定していくように思う。人によってその対処法はさまざまだと思うけど、僕はこういう時は敢えて気分転換せずに、効率は悪いですけどゆっくりでも良いから少しずつ仕事を片付けていきます。そして心的エネルギーが回復してくるのをじっと待つのです。ウマく行けば日が暮れる頃には気分が晴れてきます。今夜は大学のオフィスでこのブログを書いてるんですが、こういう文章を書いているとだんだん気力が湧いてきました...笑。何かを一生懸命継続してやることが楽しさを作る一番の近道じゃないかと思います。Enjoy yourself。

2015年11月15日日曜日

安くなってますね

ガソリン安くなってますね。一年くらい前からそれに気づいてぼんやりフォローしてたんですが、今日はハイオクがリッター125円に。一時期170円台もあったわけだから随分下がってます。原油の価格が昨年夏頃から急落しているせいなんですが、その急落の背景にはアメリカでシェールオイルというこれまで採掘が難しかった油が大量に採れるようになったことがあるようです。今ではなんとサウジを抜いてアメリカが世界一の原油産出国になっているらしい。世界情勢って変わりますよね。アメリカと中東の関係もこれから微妙に変わってくるかもしれません。アメリカ大陸凄いです。日本は資源がありましぇん。。。来年に向けてまだまだ油の値段は下がるようなのですが、2016年はどこかで原油に買いを入れてみたいと思ってます^^。

2015年11月13日金曜日

東洋医学なんて...

先週の金曜と今週の金曜と2週にわたって「代替医学」の講義がありました。この科目も今年でもう4年目になります。卒業前の4年生を対象にしたクラスで、よこたクリニック院長の横田直美先生に統合医療の概論や漢方医療の考え方などについてご講義頂きました。西洋医学の中で漢方薬が使われることもありますが、個々の症状に対して対症療法的に使うのは邪道らしいです。日本は漢方医としてのトレーニングを受けていない医師が保険診療の中で漢方薬を処方できる珍しい国で、そういうこともあってそういう処方がなされるようですね。僕が病院に就職した頃は「東洋医学なんて...」という時代で僕自身もほとんど興味はなかったんですが、分子科学というか物質科学というか、西洋の科学を学んでいくとそれだけではうまく捉えられないものもあるかなと思えて来るんですね。これは医学に限ったことではないんですが、西洋の科学は究極的な原因を明らかにすることを目指しているわけではないんですよ。何のことだかよく分からないかとは思いますが、それはまた追々。さて、この11月から横田先生に治療してもらうことになりました。誰がって僕がです。漢方に加えて食事とかも改善して、これから歳と共に高まるであろう健康リスクを極力排除していきたいと思います。

2015年11月12日木曜日

サイクリックに

良い天気続いてますね。神戸。最近、雨降ったかな? 紅葉の季節だし、時間があれば山を散歩しています。家の近くに小さな山があるんですよ。遠くに海も見えます。風邪ひいて少し負荷を軽めにしようと思って走らず歩いてるんですが、歩くと走っている時には見えないものがいろいろ見えてきます。昔、車(だったと思う)のテレビCMで確かそういうのありましたよね(って、もう20年以上前だと思いますが...)。「ゆっくり走るといつもと違う景色が見えて来る」みたいなコピーです。脇目も振らず突っ走るのも爽快で気持ちの良いものですが、ゆっくり味わいながら進んでいくのもそれはそれで何かを発見する良い機会になります。たぶん、そういうのは交互に、サイクリックにするのが良いんでしょうね。いつもゆっくりでもダメで、突っ走るフェーズがあるからスローダウンした時にたくさん吸収できるのだと思います。

個性って何だ?

昨夜はひょんなことから差別化やら同質化やらの話をしたんですが、せっかくなので今夜は「個性」についてちょろっとだけ書いておこうと思う。僕自身のことを話せば、僕は小さい頃から自分はごくごく普通の人間だと思って生きていたのですが、高校生くらいになった時から「変わってるね」ってよく言われるようになった。もちろん内心は「そんなはずはない。みんなは本当の僕を知らないんだ」と思っていたのだが、その後、大人になってからも同じようなことを言われることがずっと続いた。そう言えばつい最近も学生に「相ー当、変わってますよね」と言われたばかりである。で、そういう風に自分の信念が事実によって否定され続けるとだんだん周りの言うことが尤もなことなんだろうと思うようになってきて、いつからか「オレ、変わってんだ。ハハハ」と思うようになった。で、世間的にはこういう人と少し違うということが「個性的」なんて言葉で表現されることが多いのだが、個人的にはそういう個性(たぶん性格やら振る舞い方が変わってるということなんだろう)に大した意味はないと思う。よく学生が「うちの学年は個性的な人が多い」なんて言ってますが、僕から見ればそういう風には見えなかったりする。たぶん個性って、天然のものではなくって、習得して磨き上げることで初めて表に現れて来るものではないかと思う。

2015年11月10日火曜日

良く似てます

数年前と比べると起業(一人ビジネス)してる人の数って飛躍的に増えてるんでしょうね。正確なところは知らないんですが、Facebookやアメブロなどで情報発信している人ほんとに多いですよね。特に女性が多い気がする。僕のブログは日記というか趣味というか、特に対外的に明確な目的があるわけではないので、まあ何でもありなんですが、ビジネスブログとなると書く範囲が決まってきてなかなか大変なんじゃないかと思う。僕の場合だと、基本的に脳科学やリハビリだけをテーマに書くことになるんだろうけど、それだと書いていて自分でつまらなくなってくるというか、だんだん枯れて来てしまうように思う。それよりは日々自分の目に映るものを学問とかビジネスとか関係なしに書き留めていく方が楽しいし、結局のところ、そうすることで脳やリハビリにも良い形で繋がっていくように思うのです。なんか起業してる人が読んだら気楽だなぁと思うかもしれないですけど、僕は所詮、継続課金、じゃなかった、継続収入のあるサラリーマンですから。。。書く素材にはあまりこだわらないというか、万物に哲学は宿るというか、見かけの違いによって惑わされることなく、隠されたより普遍的なものを見つけたり理解したいと思うのです。。。さて、話はもとに戻るのですが、起業家のブログってどれも似てるんですよね。差別化よりも同質化の方向にかかる力の方が強いみたいです。たぶん、出回っている知識やノウハウや考え方のもとが同じだからでしょうね。リハビリの世界もこれと良く似ています。

マニアな雰囲気

先日、「障害」という言葉について書いた。個人的にはこの言葉に特別にネガティブな想いはないのですが、少し考えてみると、リハビリの世界には見ただけでマニアな雰囲気のする言葉が少なくない。たとえば、「尖足」「痙縮」「固縮」「強縮」「拘縮」「振戦」「褥瘡」など。この前、授業で話してたら「弾性緊縛帯装着法」なんてのも出てきました。受け取るイメージは人それぞれだろうけど、僕は学生の頃からこういう言葉を見ると窓のない地下室を思い浮かべてしまうのです。学生の頃に見学に行った病院のリハ室がそんな感じだったのも影響してるのかもしれません。別に悪い意味を込めているわけではなく、それはそれでコアな、その言葉の意味を知る人たちだけで形成される連帯感みたいなものも生んでくれるんですけどね。そういえば「訓練」という言葉も独特なリハビリ語ですよね。そうなんですよ、これをお読みのセラピスト以外の皆さん。患者さんがリハビリ治療を受けることを業界では「訓練」と呼ぶのです。脳卒中になったりしてから痛いの我慢して訓練しなくちゃいけないというのも何だか気の滅入る話ですが、これもまた代わりとなる適当な言葉がなくって使われ続けているような気がする。「治療」や「練習」や「トレーニング」というのも今イチしっくりこないんですよね。英語的に「セッション」と言うのは意味としては良いように思うけど、日本人にはあんま馴染みないもんね。やっぱ少なくとも患者さん向けには「リハビリ」が一番良いように思うな。

2015年11月9日月曜日

中国並みに

今朝はうちの大学(神戸学院大学)の入試でした。僕も試験監督の一人としてささやかながら運営のお手伝いをしました。公募制推薦入試という、沢山ある入試枠の一つです。学長のお話によれば、大学全体で昨年より5%ほど志願者が増えたそうです。微増のように聞こえるかもしれませんが、中国のGDP並に年々成長しています。試験中、ちらと問題冊子に目を通してみたのですが、国語では小林秀雄さんが書いた今いち捉えどころのないエッセイが長文読解に使われていました。英語の長文も今いち冴えない感じがしたのですが、ま、入試ですからね。あんまり面白くて読み入ってしまうものは適さないのだと思います。退屈なものを手際良く処理する力って実社会においてはとても重要なことですもんね。それにしても毎年思うのですが、理学療法士になろうとする人の適性を2科目(たとえば英語と国語)だけで測るのも少々無理がありますよね。ないのかな? まあ全国的にそんな感じなんでしょうけど、そうしないとなかなか受験者が集まらない(リハビリ希望で多科目受験に耐えられる生徒が極めて少ない)という現実もあるのでしょうね。

2015年11月8日日曜日

じゅるじゅるコンコン

1 週間ほど前に突然喉が痛くなったという話を書きましたが、あの後、一旦完治したかと思いきや、夜に39℃まで発熱したり、ここ数日は咳が出たりと、奴らはまだ僕の体内にいるようです。風邪はウイルスや細菌がヒトの体内に侵入して鼻水や咳やくしゃみを起こしますが、改めて彼らは上手いことやってるなと思います。どういうところがと言うと、人間の身体をうまく利用して増殖し拡散してるところがです。風邪って喉の痛みなどから始まって、鼻水や咳へと進行していきますが、人にじゅるじゅるコンコンさせることでその人の周りにいる何倍もの数の人たち(新たな培地)に乗り移っていくわけです。喉の痛みが比較的短期間(2〜3日)で治まるのに対して、鼻水や咳は数週間続くことも少なくない。風邪って、多くは風邪ひいてる人の鼻水や、咳やくしゃみによって排出される分泌物を介して移りますが、そういう症状が長引く理由をウイルスや細菌の立場から考えてみると納得がいきますね。彼らは人の上気道にアクセスして炎症を引き起こしますが、真の狙いは自分やその分身たちが目一杯飛び散れるように鼻水や咳やくしゃみをじゃんじゃん引き起こすことなんですよ。

2015年11月7日土曜日

ちょっと地味に

いよいよひと月先に迫ってきました。CBRセミナー in 徳島。「福祉専門職のための脳科学」です。今回のポスターはちょっと地味に文字を中心にまとめています。いつも原色系ギラギラで「胡散臭い」って言われますもんで。。。個人的にはいつも全然真っ当で、本物の香りがするなぁって密かに思ってるんですけどね...。おっかしいな...。みんな何が本物か分かんないんだよ。偽物に目が適応しちゃってるから...。今回は徳島文理大学と徳島県社会福祉士会さまのご後援を頂いております。社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士など、福祉の現場で活動されている方々を対象としたセミナーです。パートナーの桃井克将先生と共に、脳と福祉を繋いでみたいと思います。



















2015年11月6日金曜日

私のせいじゃないんだから

さて、昨夜は「障害」という言葉について少し書いてみました。要約すると、主催者側(PT協会)から学会抄録を書く際に「障害」や「障害者」という言葉には配慮して下さいとの注意書きがあり、「どう配慮すれば良いのだろう?」というお話でした。看護師のTさんからコメントを頂いたんですが、それによると「害」という文字を「(まわりに)害を与えている」という風に捉える人もいるそうです。なるほど、だから「障がい」と平仮名で表記することがあるんですね。僕はてっきり「障害者」と言った場合には「その人にとっての障害がある人」という風に考えていたのですが、「まわりの人たちにとって障害となる人」なんて風には全く考えたことがなかったんですね。確かにそういう解釈も成り立つとなると、「害を与えている」なんて思われる方は嫌ですよね。なるほど...。英語だと障害を持っていることは handicapped って受け身で表現されるんだけど、それだとそういう日本的な解釈はまず成り立たないように思う。責任の所在をはっきりさせるというか、「私のせいじゃないんだから」「ええ、あなたのせいじゃないわ」という暗黙の了解がみんなが使う日常の言語の中にすでに埋め込まれているということです。じゃ「誰のせいなのか?」という疑問はさておき、平仮名にして本当に変わるのかな? 僕にはよく分からないですけど。

2015年11月5日木曜日

配慮して下さい

さて、ここ2日ほど学会抄録の話をしてきたけど、今回インターネットで投稿する際に「障害」「障害者」という言葉に配慮して下さいとの注意書きがあったそうな。院生から聞いた話なので詳しいことはよく分からないのですが、「配慮して下さい」と言われてもねぇ。。。「使うな」ということなのかな? 提出した抄録に「運動障害」という言葉を使っていたんですよ。要するに「運動に障害がある」ということなんですが(そのまんま)、どう配慮すれば良いのか? 「使うな」と解釈して一応検討してみたけど、「障害」の代わりに「不自由」とか「異常」とか「不全」とか使っても結局ネガティブな意味になるし、困ったもんだ。まあ、絶対に回避出来ないことはないけど、「障害」ってこれまでリハビリ界ではバンバン使われてきましたよね。「障害分類」とか「機能障害」とか「PTは病気じゃなくって障害をみるんだ」とか日常的に聞く言葉ですよね。弁護士が人の揉めごとを仕事(敢えて「めしのタネ」とは言わない。品が無いから...)にしてるのと同じように、リハ職は基本的に人の障害を仕事にしてるんじゃないの? 聞く人によってはネガティブな響きのある言葉なのかもしれないけど、じゃ代わりとなる言葉があるかと言うと、なかなか難しい気がするな。。。

2015年11月3日火曜日

もっと簡単に言えよ

学会抄録の方はなんとか目処がつきました。昨日ここで触れた「難解な部分」をならしてならして、でもおそらく読む人には分からないだろうなと思いながらのフィニッシュです。専門外の人が読んだらたぶん全くワケわかめでしょうね。2題のうち1題は良いんですけどもう1題はプレゼンして解説しないと厳しいです。でも、どちらも人の日常に全く関係ない内容ではないんですよ。科学的法則というのは人間が身近に感じるかどうかはさておき人の日常を規定しています。人がそのことに気づいているかどうかは別として。心だってその動き方には法則性があるのです。今回取り組んだテーマは「現実って何だ?」とか「腑に落ちるって何だ?」といった問いかけに認知科学的な解答(部分解)を与えるものでもあります。さて、科学において専門用語を使い殊更に難しくコトを記述するのはなぜなのか。「もっと簡単に言えよ」というのは尤もな言い分であるように思うけど、単純な結論に至るまでのプロセスが必ずしも単純であるとは限らないのです。

2015年11月2日月曜日

的は得てると思うけど

来年のサッポロ学会の抄録〆切が間近となり、今日は院生が書いた原稿を手直しした。こういうことを言うのも何なんですが、「院生」と言ってもまだまだなんですよね。直しを入れ始めると(こちらにその気がある場合に限ってですが)もう原型を留めないほどに書き換えます。もちろんうちにいる人たちは素質があってやる気があってセンスもこれまた良いんですが、トレーニングの量が絶対的に不足しているわけです。テーマを設定するのも実験を着想するのも結果を解釈するのも論文を書くのもそれぞれ細かいスキルが無数にあってそれら全てが手元に揃うには必死に工夫したとしても10年ほどかかるんじゃないでしょうか。そしてもしそれらを手に入れたとしても二流の人は二流、B級の人はB級なんですけどね。ま、別な見方をすればセラピストの「研究者」なんてほとんど二流以前なわけですよ。いやいや、そこまで言うと言い過ぎかな? 的は得てると思うけど^^。要はトレーニング環境をもっと整備しなくちゃいけないということだよね。抄録の方はまだ少し難解なところがあるんだけど、字数が限られているのでそれ以上平たくできない悩みがある。