2015年10月31日土曜日

早起きは万病のもと

昨日の朝、右の鼻の奥に飲み込めない何かを感じておかしいなぁと思っていたら昼過ぎから右喉が痛くなってきた。ちょうど3限の授業をしていた時です。その後、痛みのエリアが拡大してきて夜には全面痛へと発展した。かなりひどい痛み。風邪かな? もしそうなら2年ぶりとなる。今週は毎朝早起きして息子に国語の長文読解を教えてたので、その疲れが出たのかもしれない。風邪が万病のもとなら、早起きは万病のもとですよ。ということで、今朝は遅くまで寝てたんだけど、そしたらびっくり。起きた時には喉の痛みは取れていた^^。風邪なら鼻に来そうなものだけどそういうこともなく、何だったんだろうね。あの鼻の奥の違和感。気候の変わり目だし、得体の知れない微生物や寄生虫には注意しないといけない。

2015年10月29日木曜日

人生のメンテ

いよいよ10月も終わろうとしています。あと2日です。抱える荷物は極力少なくしたいと思っていても毎日いろいろとやることはあります。吸収することも大事だけど、捨てることも同じくらい大事ですよね。新陳代謝を良くすると言うか、日々どんどんアウトプットしていくことでまた吸収できる余地が生まれます。このブログをほぼ毎日書いているのもそういう人生のメンテみたいなところがあるんですよ。毎日書いているから毎日書ける。この意味分かって頂けますか? さっき計算したんですけど、1日0.2%づつ人生を改善していくことができれば、1年で倍以上の改善になります。出し入れを小まめに積み重ねていくことで自分を大きくアップデートしていけるのだと思います。

考えてみるのは楽しいね

昨夜は大学の話を書いたんだけど、良い機会なのでちょっとこのテーマで考えてみましょうか。。。と言っても特に用意しているネタがあるわけではない。今から書きながら考える。。。そうですね......教員と職員の話でもしましょうか。大学には「先生」ばかりではなく、いわゆる「事務」の人たちもたくさんいる。で、「先生」の方は一応各自専門みたいなのがあるわけですけど、(少なくともうちの大学に限って言えば)「事務」の人たちは特にそういうのはなさそうです。一応、コンピュータに詳しいとか簿記に詳しいとか、そういう特技があればそれなりの配置がなされていると思いますが、多くは数年ごとに部署が変わるみたいです。どの側面からみるかで見方は変わるかと思いますが、学内での力関係はやっぱ「先生」の方がありますかね。たとえば学長は教員の中から選出されますもんね。でも、昨日も触れたんだけど、教員が必ずしも良い経営者とは限りません。いや、特別なケースを除いて、経営者としては明らかに素人だよね。プロ野球の監督みたいに高度な技術を持った専門家集団をまとめるマネジャーとしては良いだろうけど、球団社長は別に選手出身でなくても良い。だから(というのもちょい短絡だけど)「事務」の枠にも大学専門(できれば学問のことも理解できる)プロデューサーとかマーケターとかマネジャーとか、とんがった専門性を持つ人を採用するとか育てるとかして、十分な能力と野心のある人は学長にもなれるような仕組みにした方が大学のレベル上がるんじゃないかな。たぶん日本ではいつまで経ってもそういうことにはならないだろうとは思うけど、考えてみるのは楽しいね。

2015年10月27日火曜日

世事に疎い人たちが

僕も一応大学に勤めていて、大学の運営・経営に関わる会議なんかに出席したりするんですけど、大学の教員って組織の運営とか経営戦略とか考える力あるのかななんてときどき思う。大学に来る前は社長してましたとか、企業の経営コンサルしてましたとか、その手の実務出身の人は別にして、教員って基本的に学者なんですよね(と信じたい...)。極端に言えば、世間にとってはどうでも良いような枝葉末節にこだわることをライフワークにしてたりする人種なわけです(なかには病院でセラピストやってましたという人たちもいます)。そんな世事に疎い人たちが学生集めの方法や大学の盛り上げ方を考えてもなかなか難しいんじゃないですかね。そういうのは集客のプロや財務のプロや組織マネジメントのプロを雇って仕組みを作ってもらい、教員集団(faculty)は教育と研究に関するその大学独自の理念やスタイルやクオリティーを管理する。そして専門職として各自が現場のプレーヤーに徹する方がうまくいくんじゃないか。ま、そんなこと考えるのは僕の仕事ではないし、またそれが万が一うまくいくとしてもみんながそれなりの技量を持っていてその意図するところを理解しないといけないので、実現するのはとてもとても難しいことなんでしょうけどね。

正当化され増幅される

さて、昨夜の続きを書きますか。理解を言葉で表すって話です。昨日書きながら何となく思ったんだけど、理学療法の世界って、結構「言葉で表せない」の一言でもったいつけたりしてることあるんじゃないですかね。実際、それを「アートだ」なんて言ってる人も見たことあります。いや、優れた治療家の技は確かに「アート」だろうとは思うんですけど、やっぱりそこで留ってたら周りの人にはなかなか伝わらないかもしれないね。いや、アートに説明は不要だとは思うんですよ。良い絵や良い音楽は講釈がなくても良い絵や良い音楽であるように、患者が治れば別に説明なんか要らないのかもしれない。でも、治療の場合はちょっと絵画や音楽などとは違うタイプのアートなのかなとも思うんですよね。治療者は何かを手がかりにしてリーズニングしているわけで、その一連のステップは言葉でかなりの部分説明できるんじゃないかと思う。別に科学的な言葉を使わなくてもその治療家が理解していることを普通の言葉で表現すれば(その理解が本物である場合は)誰もが理解できるんじゃないか。場合によってはマニュアル化さえできるかもしれない。その言葉のとおりに他人がすぐに実践できるかどうかは分からないですよ。それはまた別のスキルの話です。でも、やり方を言葉で説明することはできるはずだと思う。それが出来ないと言うのであれば、その人の理解自体が怪しいんじゃないか。治療効果というのは、治療者の頭の中で正当化され増幅されることもあるからね。

2015年10月25日日曜日

モロに出たりする

先日、「それ知ってる」というブログを書いたのだが、思っていることや理解している(と思っている)ことを言葉で表せるかどうか試してみることって大事だと思う。話し言葉ではなく、文章を書けるかどうかということですけど。オーラルだとどれだけゆっくり話しても流れが速くなるので実は辻褄の合わないところも見逃してしまってあたかも理解したかのように思ってしまうことがある。その点、ペーパーの場合は何度も読み直せたりするので矛盾やウニャウニャしたところがある場合はそれがモロに出たりする。話す時に言葉を失うということもあるだろうが、書く時の方がその苦しみを味わうことが多いんじゃないか。やっぱり書けなければそのぶん理解の度合いは低いってことだと思う。確かに「言葉にできないほどの深いこと」や「無意識下に理解している深いこと」もたくさん存在するとは思うんですけど、それを言葉の世界で顕在化することでその深いアレコレもさらに深く理解することになるわけです。そんなことを最近、学会抄録書きながら改めて感じたんですが、この前のブログと繋げてみると、書ける人はその理解していることを現実世界で使える人ということになる。一度検証してみたい仮説ですね。

2015年10月24日土曜日

おそらくバレバレに

ここ2日ほどは大学院生との研究で学会抄録を書いたりミーティングしたりで夜にブログを書く時間が取れなかった。ま、実のところはそれ以外にもアレやコレやと手を伸ばしてるからというのもあるんですけどね。でも、そのアレやコレやの方も少しづつ手応えを感じていて、近い将来に皆さんにも何らかの形でサービスを提供できればと思っています。で、それはさておき、抄録の方は結構良い感じでまとまりそうです。来年サッポロでの全国理学療法学会です。もう自信むんむんです。昨年は20年ぶりくらいに日本の理学療法学会に演題登録したので査読者も誰の抄録か全く分からなかったと思うのですが、今年はおそらくバレバレになると思います(審査は一応ダブルブラインドなんすよ)。その場合、考えられるケースは以下二つですね。一つは、坂本グループからの演題なのでプレミアム(おまけ点)が付くこと。そしてもう一つは、僕が関わっていることで余計な減点がなされること。。。そりゃ、いくら公平に審査して...と言っても人間だからバイアスはありますよ。意識的にしろ無意識的にしろ。でも、そういうポジ・ネガどちらのエネルギーも僕らの推進力に変えて突破していかなくてはなりません。一番悪いのは審査員の心(感情)をどの方向にも動かせないことです。少なくとも僕(ら)にとってはということですけど (^^)

2015年10月22日木曜日

それ知ってる

何の前後関係も脈絡も文脈もないんですが、今日の昼間にふと、「言葉を理解する」ということはどういうことなのかということについて考えてみた。これは僕にとってはずーと以前から気になっていたことなんです。一口に「理解する」と言ってもいろんなレベルがありますよね。たとえば相手が言ったり書いたりしたものを復唱できたり音読できたりすることも一応話し手が何を言っているかを聞き手・読み手が理解していることの一つの証明になると思うし、またたとえば学生が試験で問題への答案に事前に暗記していた解答を書き込めるというのも一応理解しているということになると思う。だって、それが出来たら試験で点数もらえますからね。でも、そういうことだけで本当に理解していると言えるのかというと、やはり言えないんじゃないかとも思う。というのは、ある言葉を聞き(読み)取れてまたそれに対しての教科書的な定義ができたとしても、日常にある物事をその言葉を使って適切にラベリング(こういうことを◯◯って言うんだよね、ということが)できなければ本当にその言葉の意味を理解していることにはならない。つまり、聞いたことや見たことがある言葉を現実世界で起こる物事にぴたっとマッピング(適用)できなければならないということです。コレ、弁護士さんなんかが法律を運用することを例に考えると分かりやすいと思う。法律って六法全書に書いてあると思うんだけど、それを丸暗記しても訴訟を有効に戦うことは出来ない。その事件に対して全書に書いてることを運用できなきゃならないんですよね。「それ知ってる」じゃ不十分なわけですよ。

2015年10月20日火曜日

ワークライフとライフワーク

しばらくサボっていたランニングを再開してます。以前と比べると走ることに対する意欲が少し落ちたかと思いますね。その代わり筋トレはここしばらく意欲的。有酸素するとすぐに体重が落ちます。コレ、てきめんです。レースに出るほどやらなくても一日4km(1里)を30分ほどかけてジョグするだけで(途中、歩いても構わない)、代謝の調子は随分高まる。体感的に。。。走っているとたまに言葉が浮かぶんですが、なぜか今日は坂道降りてる時に「work life balance(ワークライフバランス)」という言葉が降りてきた。仕事と生活の両立ということなんでしょうが、僕はできればworkとlifeを対極に配置するんじゃなくって、work is life(仕事は人生)と言えるような生活したいですね。こう言ってしまうと一般的には「仕事だけの人生」みたいに響くのかもしれないけど、そういう灰色的な風景ではなくって遊びも家庭も価値ある仕事(life work)に繋がっていくようなことなんですけども。こういう仕事といわゆるプライベートの境界を気持ちの中で取っ払うためには、まず「仕事」を再定義する(捉え直す)ことから始めなければならないんでしょうね。

2015年10月19日月曜日

ありがとう、脳科学。

建築家、安藤忠雄さん監修のちびっ子イベントがあるというので息子を連れて淡路島へ。先月CBR2015を開催した夢舞台です。日中は講演を聞いたり絵を描いたりしたのですが、夕方、安藤事務所の方のご案内で山の手にある美術館へ。そこのカフェでゆっくりしてたらそこに絵を展示されている画家の大石先生とお話することになり、その勢いでその奥様やらスタッフの方々と脳の話で盛り上がった。芸術やってる人たちなので、結構すぐに本質的なところを突いて来られるんですよね。今の時代、一般の人たちも脳に興味を持っている人は本当に多いので、脳の話をちょびっとでも出来るとそれをきっかけにご縁が深まることがあります。今回もまた一つ、仕事の話が持ち上がったんだけど、やるとなるならどうやるかな。。。ありがとう、脳科学。時どきだけど、僕の生活の役に立ってます。

2015年10月18日日曜日

そんなものなのかな...

さあ、今日は昨日の続きで転職の話をしようか。といっても書くためのプランは何も決まっていない。これから書きながら考えようと思う。僕が最初に勤めた病院は5年で辞めた。初めからずっと勤める気持ちはなく、若いうちに留学しようと思っていた。国立の病院で、安月給ながら一応「文部技官」とかいう国家公務員の身分があったのだが、そういうものであり続けることに大した興味はなかった。多くの人たちは「もったいない...」とか「勇気あるね...」とか言ってたけど、「そんなものなのかな...」という気持ちしかなかったね。インターネットのない時代に、何のツテもなく誰も知り合いのいない行ったことすらない言葉の通じない街で大学院生をやろうというのだから、少し引いてみると確かに「勇気が要るな」ということは言えるかもしれない。こういうのって当事者よりも端から見てる方が大変そうに見えるんだよね。でも僕としては自分がステップアップするためには絶対に避けて通ることのできない自分に課した関門だったわけですよ。だって、日本のごくごく限られたローカルコミュニティーの中で何だかワケ分からないこと言いながら威張ったところでカッコ悪いじゃないですか。僕は日本のリハビリだけじゃなくってもっと広い世界を見たかったんです。ま、別にその目的を果たすために必ずしも外国に行く必要はないですよ。広い世界と言ってもそれは心の世界の話だから。。。でも、野球にメジャーリーグがあるように、科学にもアイビーリーグがあるわけです。そこに身を置いて、世界のレベルを肌で感じることはそこに行ったこともないヤツが自分の思い込みの中で分かった気になるのとは随分違う。当時は僕みたいなリハビリ出身の兄ちゃんが行ける本物の大学院なんて日本にはなかったし、もしあったとしてもその世界で僕が天辺まで上れる梯子(career ladder)はなかっただろう。ほら、たまにセラピストで偉い医者や学者にくっ付いて仕事してる人いるじゃないですか。確かにそれも一つのやり方だとは思うけど、それは僕が目指しているものではなかったのです。。。なんか、転職の話と言うより自分の留学の話になっちゃったけど、つまり、今いる職場を辞めて転職するなら、横滑りに水平移動するんじゃなくって(そういうのを繰り返して出来上がるものを「キャリア」とは言わない)、実質的にステップアップするために必然となる垂直移動をやるべきじゃないかということです。特に若い人の場合はね。。。人生は物語だと思う。読者がページをめくるたびにストーリーが深まっていくようなそんな話になると良いですね。

2015年10月17日土曜日

代わりは幾らでもいるということを

さて、昨日一昨日と就職や転職やキャリアの話をしてきたので(もともとは野球の話だったけど...)、今夜は今就活中の学生さんたちにちょっとしたアドバイスを。僕も学校を卒業して、就職して、転職してきたんですけど、働く場所を決める上で大事なことって何なんでしょうね。新卒の場合だと、定年までその職場で働くというケースを除き、初任給とかはあまり気にしない方が良いんじゃないかと思う。セラピストの世界はもともと職場を変えることが珍しくない世界ではあるんだけど、世の中一般の流れとして、これからますます終身雇用みたいなのは無くなっていくんじゃないか。ちなみに僕は新人の時、同級生の中で一番安月給で働いていた。もちろん生活するにはお金が必要なわけだけど、寝る場所があって死なない程度に栄養が補給できれば十分だと思っていたし(これホント)、そんなことよりもまずは実力をつけることが先だと思っていた。付けたい実力の中身は人によってさまざまだろうが、施設の規模とか名声とかそんなことに惑わされずにその職場で自分が成長するために必要な機会が十分にあるかどうかを見極めるのが最も重要だと思う。そのとき、周りのみんなが学ぶべきだと思っていることを取りあえずマスターしようとするのではなく、目指すものはできるだけユニークな(希少価値のある)ものの方が良い。もちろんその他大勢で満足だというのであれば、それはそれで大いに結構なんだけど、それだとあなたの代わりは幾らでもいるということを覚えておくと良いだろう。転職の話する前に字数オーバーになっちゃったよ。続きはまた後日。

2015年10月16日金曜日

また少し違うデカい顔

昨夜はこんなブログを書いたんですが、自分が新卒で就職した時のことを思い出した。僕は平成元年に神戸大学の医療技術短期大学部(今は4年制で医学部の一部になっています)というところを卒業して、そのまま神戸大学の附属病院に就職したんですが、実はそこが第1志望ではなかったんですね。もともと学生時代から臨床をやりながら研究もしたいと思っていて、就職先はできれば大学病院がいいなと思っていたので全く思惑が外れたというわけではなかったのですが、自分としては実習でお世話になった某大阪大学病院に就職したいと思っていました。今はどうかは分かりませんが、当時は阪大の方がリハビリ部の歴史もあって良さそうに見えたんですね。そしてラッキーなことにちょうどどちらも新卒の募集がありチャンスはあったのですが、受け入れ先の思惑やらそのとき就職を斡旋していた教授先生の思惑やらももちろんあって結局神大に行くことになりました。昨日の清原選手ほどではないですが、やっぱ内心がっかりしたところはありましたね。でも、働き始めてみると「マイナーな職場」の良さみたいなものもあって、ホントに自由に臨床と研究ができたんですよ。そして論文もたくさん書いて4年目くらいになんと今度は阪大を含む複数の大学からお声かけ頂くことになりました。もちろんこの話は20年以上前の秘密の話でそこに関わった数人の人しか知らない話なんですが、結局、僕はアメリカに行くことに決めたんですね。あのまま日本の大学の助手から始めて純国産品としてやっていたらたぶん今頃それなりに今とはまた少し違うデカい顔をしてたと思うんですが、リハビリに対する見方やらこのブログの書き方やらは今とは随分違ったものになってたことだろう。生まれた時の遺伝子(genetic makeup)は同じでも、経験の内容によって人の中身って随分変わると思う。

2015年10月14日水曜日

人の心の話でもある

野球の話ではあるけど人の心の話でもある。昨夜はブログを書こうと机の前に座ったのは良かったが、ひょんなリンクで元プロ野球選手の清原和博氏のビデオを観た。テレビの録画で、彼の野球人生を振り返るというようなバラエティー番組です。結構面白かったのでそのまま視聴。僕と同世代の人で、1994年に僕が渡米するまでは野茂や桑田らと共に活躍していたのを覚えている。多くの人が期待していたように僕も王貞治の記録を抜くのは彼しかいないと思っていた。ドラフトで巨人の指名がなく西武に入団したんだよね。本人はよっぽどの巨人ファンだったらしく、巨人から指名がなかったことに物凄く失望したらしい。で、ここまでなら高校生が抱く憧れの話として理解できるんだけど、その後西武で10年近く活躍したのち、巨人に移籍するんだよ。阪神からのオファーの方が数段良かったにも関わらず。。。僕は野球選手ではないのでプロの目からみた巨人の価値は分からないのだけれど、巨人の野球ってそんなにレベルが高いのかな? 当時は西武の方が圧倒的に強かったわけだよね。野茂やイチローみたいに大リーグを目指すというのは更なる高みに挑戦するということで理解できるんだけど、なんで巨人を目指したんだろ? そこが僕には理解できない。結果論ではあるけれど、巨人では球団からそれほどリスペクトされなかったみたいだし、西武でやってた方が王さんの記録に迫ることができたんじゃないか? 何に憧れてたんだろ? 東京? 清原ならヤンキースの4番も十分に狙えたと思うけど。

2015年10月13日火曜日

お山の大将

前回のブログでは山の話をしたんだけど、これってよくある、でもなかなか使い勝手の良いアナロジー(喩え)だと思う。研究とは山登りです、ってね。せっかくなのでちょっと補足しておこう。研究の場合(アメリカだけかもしれないが)、よく金鉱掘り(gold digging)という一攫千金を連想させる言葉が使われるけど、僕はどちらかと言うと先日使った山登りの方が好きですね。なんか一回ダメでも成功してもまだまだその続きがあって、単にラッキーなだけではゴールに辿り着けないような感じがする。これは僕自身が一攫千金を狙うよりコツコツやる方が好きだと言っているわけではない。どうせやるなら手間がかからず当りはデカい方が良いに決まっている。ノーベル賞を取るような人たちもみんな(アメリカだけかもしれないが)、一攫千金を狙っているのだ。ただ、金鉱掘りと言っても金鉱を見つけるのってやっぱ経験とコツが必要で、運だけで左右されるものでもないんですよね。ここ掘れワンワンじゃないけど、それなりの嗅覚も必要だし、掘るトコ決めても掘り方知らないと掘れないし、掘ったところで金と石を見分けられなくちゃガラクタ持ち帰ることにもなりかねない。そういうことを考えると山登りの方が誤解が少ないと思うわけ。でも、その場合もどの山を登るかは大事だよね。ここ間違ったり勘違いすると頂上に辿り着いた時に「お山の大将」になっちゃうから...。

2015年10月10日土曜日

山登りに似ています

今日は朝からラボミーティング。来年の北海道での学会に向けて最後から2番目か3番目の打合せ。来月に演題エントリーの〆切があります。まだ追加実験を要するプロジェクトもありますが、抄録のブラッシュアップをやり始めたものもあり、おおむね順調に進んでいます。実験結果が出ると次に進むべき道を決め、その道に分け入るための実験をデザインしていくわけですが、結局のところ、ここらが適切に出来るかどうかでその研究のスケールやクオリティーが決まってきます。もちろんコレ以外にも無数の関門があって全部順次クリアできなければ大したゴールには辿り着けません。研究は山登りに似ています。いや、もう少し正確に言うなら、僕がやりたい研究は山を登るような研究です。自家製のコンパスを頼りに仲間と頂上を目指したいと思います。途中で遭難しませんように...(笑)

2015年10月9日金曜日

だいぶ見えてきました

朝から晩まで働きました。12月6日(日)に徳島で開催予定のCBRセミナー。まだプログラムのリリースには至っていませんが、今回のパートナーの桃井先生(社会福祉士・精神保健福祉士)と鋭意準備を進めています。福祉職の人たちに役立つセミナーにしたいと思っていますが、打合せ自体がとても良い勉強会になっています。僕自身はたとえば社会福祉士の皆さんがどんな仕事をしているのか、そして精神保健福祉士や介護福祉士との違いもこれまで実はよく知らなかったのですが、それらもだいぶ見えてきました。下手な本読むよりも想いを持った人と話する方が勉強になります。そういう人たちに囲まれて仕事ができるというのは本当に幸運です。セミナー会場は桃井先生が所属する徳島文理大学(徳島キャンパス)を予定しています。

先送りの文化

いつの間にか臨床実習の話にすり替わってしまいましたが、昨夜は業界としてのリスク管理が出来てないんじゃないかという結論に至りました。別に狙ってそこに着地したわけではないんですが、話の流れに従って行くとそういうことになったというだけなんですけどね。学生を十分に鍛えないと一人前にはならないし、かといってやり過ぎるといろんなところに歪みが出てくる。子育てってホント難しいです。実習指導に関わる方々にとってみれば、やはり自分が関わった学生には立派な理学療法士になって欲しいという想いがあるでしょうし、その想いが本物であればあるほど、ここでなんとか成長してもらって・・・ということになるんだと思います。でも「全部を一度に」というのもなかなか難しいことだと思うんですね。学校内でもあるんですよ。似たようなことが。僕が主担当で開講している科目に「臨床理学療法学演習」という科目があるんですが、これは臨床実習の直前に開講される科目でそれまで学生が学んだことをフルに使って模擬患者の問題解決に取り組む総合演習です。だから学内教育の中でも非常に重要な科目ではあるんですが、どうもここで全てを解決できるかのような錯覚が生じます。実際のところは総合するためには要素が必要であって、前段階をきちんとマスターしていないと学習は成立しないわけですが、なんとなくそこで頑張れば全てが解決するはずだと思ってしまうわけですよ。問題の一つは前修条件を満たさないままに次のステップに送り出す仕組み(慣習)にあって、これは学校への入学試験から始まることだと思います。たとえて言うなら、理科を知らない学生が理学療法学科に入学し、入学すればなんとかなると思いながらそのまま知らないままに卒業していく先送りの文化ですね。ま、何が言いたいかというと、臨床実習だけではなく、そこに繋がるまでの道のりにいろいろあるってことですよ。

2015年10月8日木曜日

業界としてのリスク管理

今夜も前日の続きを書きますか。ラグビー日本の勝利から始まった「みんなの思い」。なかなか終りが見えません(笑)。昨日は理学療法士の臨床実習に絡めて書いたんですが、書きながら、学生が実習で心身共に疲れ果てるまで宿題を課されるのは、やはり理学療法士のリスク意識が薄いということなんだろうなと思ったわけです。学校に通っている分には基本、学生自身の安全を考えるだけで良いですが、臨床実習だと患者の安全にも関わってきますよね。僕は思うんだけど、患者を直接診る時のリスク管理はしっかり出来ても、そういった事故なりサービスの低下に繋がりそうな誘因を排除するという観点から考える理学療法士って少ないんですよね。昨日もちらっと触れたけど、死人が出るような実習の背後には構造上(みんなの思い)の問題があるわけで、業界としてのリスク管理が出来ていないということなのかもしれない。確かに学生が一定レベルに達しないと就職しても患者を診れないということではあるのだけれど、数ヶ月の臨床実習で詰め込んで解決できることにも限界があるように思うんですよね。

2015年10月7日水曜日

暗黙の前提

さあ、今夜は何を書こうかな。あまり時間がないのでささっと書けるものをと思ったのだけど、一昨夜からの流れを継いで「みんなの思い」臨床実習編。理学療法士の臨床実習って普通、必要以上にハードなんですよ。中には実習中に自殺する人もいるくらいハードです。あ、コレ、誇張じゃないですから。ホントの話です。現場の実務を学びに行ってるのにレポート課題などで自宅学習に膨大な時間がかかったりして寝る暇もないことも多々あります。僕自身も学生時の実習では結構徹夜でレポート書いたりしてましたね。今から考えるとめちゃリスキーなことやってたなって思います。市バスの運転手が仕事の前の晩、職場の資料作成で一睡もしてないのと基本的には同じ状況です。一晩くらいならまだ何とかなるかもしれないですが、これが何日も続くと誰が見てもヤバいでしょ。こういうことって、課題を出す指導者だけに問題があるのではなくって、「実習ってそういうものだ」という全体的な空気、つまり暗黙の前提があるわけですよ。実際には実習で必死に書き物をしたところでうさぎ跳びをしてるに過ぎない場合も多々あると思うのですが、学生が強い痛みに耐えてないとどうも十分に学んでないように思えてくるのかもしれません。え?誰がそう思うのかって? それは学生を含めたみんなですよ。ま、最近ではこういったことの反省やら反動やらで異常にソフトな実習も徐々に増えてきてる気配はあるけど、できれば左右に振り切れることなく、至適な平衡点を見つけられると良いですね。

2015年10月6日火曜日

とかく根拠の薄いリハビリの世界で

昨夜は「みんなの思い」って怖いよねという類いの話をスポーツに絡めてしたんですが、リハビリも今はどうかは分からないけど僕が臨床してた頃(平成初頭)は「痛いのが良いんだ」なんて言いながらやってる人たくさんいましたね。医者やセラピストを含めて。。。当時のリハビリって「患者のやる気次第」みたいな空気があって、医者による処置が終わりその後良くなっていかないのは患者が怠けているからだみたいな感じやったですね。だから痛みに耐えて頑張ることはそれが本当に回復に繫がることなのかどうかはさておき象徴的に「善いこと」だったんだろうと思います。でも本当に痛い方が良いんですかね? 痛みに限ったことではないけれど、とかく根拠の薄いリハビリの世界でみんなが同じことを言っている場合には少しそのことに注意したいと思います。

2015年10月4日日曜日

仲間はずれ

ラグビー勝ったみたいですね。サッカーやゴルフやテニスもそうだけど、日本のチームや個人が世界の強豪と対等に戦える時代になってきているように思います。練習量とかは昔の選手たちと大して変わらないというか、むしろ昔の方がいろんな面でストイックなところがあったんじゃないかと想像するけど、結果が全然違いますよね。少なくとも30年くらい前までは練習中に水を飲んだら身体がバテるとか言って我慢してたように思う。うさぎ跳びも膝を壊すまでやってた時代あるもんね。「それが良い」とみんなが思うことって怖い。そうなると、実際に正しいのか適切なのか十分に考えずに、みんなが思っている(常識)通りにやらなくてはいけないと考える人たちがたくさん出てくるわけだから。判断の基準は「仲間はずれ」になるかどうかということです。つまり、大多数の人たちにとっては真実であるかどうかということよりも多数派であるかどうかが大事であるということ。。。おっと、話が随分逸れてしまった。日本のスポーツの話。戦術面でのノウハウの蓄積もあるんでしょうが、メンタルの変化もあるんだろう。今風に言えば、競技力とはまた別の、国際舞台における選手のセルフイメージが上がってきているのかもしれない。戦後の日本人の心の進化を理解する鍵がここらにあるかもしれません。

2015年10月3日土曜日

言ってること分かりますか?

今日は朝から院生とラボミーティング。LMというのは研究室のメンバーと意見交換する集まりです。サイエンス系のラボでは週1回とか定期的にやってるところがほとんどだと思います。MITでは幾つかのラボに所属しましたが、メンバーが順繰りで最近の研究進捗を20〜30分プレゼンするところもあれば、みんなが簡単に一言づつ近況報告して終わりというとこもありましたね。スタイルはボス次第なんですよ。僕の研究室はまだ人数が少ないのでめちゃ実質的な話ができます。プレゼンは一切なし。いきなりディスカッションから入っていきます。今日は来年サッポロで開催される理学療法士協会の全国学会に向けて軽く打合せしました。今年東京で発表したものの続編を出す予定ですが、この11月にも四国の学会で一つ発表することになっていて、ここらで一度それらのデータをまとめた論文を書いてみようと思ってます。年末に向けてのメインテーマになりそうです。データが揃ったと言っても本当はそこからが勝負です。結局のところ、見てるものは同じでもそれをどう意味付けするかでその同じものが全く違ったものになるわけです。言ってること分かりますか? それにしても、理学療法の世界というのは内容を十分に理解することもなくスゴいと思う人たちが多いようなんですが、うちもそういう人々の盲信を引きつけられるような力を持つ研究室にこれからなっていかなきゃいけないなと思いますね。言ってること分かりますか?

疑わしいんじゃないの?

今日もブログを書き始めるのが0時を過ぎてしまった。もっと早くやるべきことを済ませて23時までにはお寝んねしたいと思うのだけど。。。さて、何があったというわけではないんですが、先日、ある人と「人間力」って何だ?なんて話をした。リハビリの世界でも割と好んで使われる言葉じゃないかと思う。仕事で人を採用する時なんかも「人間性」が重要な評価項目になったりするようですよ。僕、若い頃に、ある人事に絡んである人の「人間性」について意見を求められたことがあるんだけど、その時うまく答えられなかったんですよね。だって定義するの難しいじゃないですか。「良いと思います」なんて答えてもいったい何が良いのかよく分かんないしね。たぶん、人当たりの良さというか、人望の厚さというか、そういう感じのことを意味しているのだと思うのだけど、何を人間の価値とするかでその構成要素は大きく変わって来るわけだし、人によって価値観はいろいろなわけだから、ま、とても曖昧な言葉だと思います。僕からすれば、そんなことヒアリングしてるその人自身の「人間性」がかなり疑わしいんじゃないの?と思ったことを覚えてますね(笑)。「品性」とかもそうだけど、こういう言葉って、それを使う人がちゃんと定義するなり例示するなりして使わないと日本語通じないんじゃないかと思うんだけど、そんなことを考える人はきっと変わった人なんだろう。

2015年10月1日木曜日

ごわごわして

今日から10月。神戸は雨が降ったりやんだりで風の強い日でした。さて、昨日、Facebook の方に蜜柑(みかん)の写真をアップしたんですがご覧になりましたか?

1年ほど前に一つの実験をしました。

同じような蜜柑を三つ用意して、それぞれ蓋のない小さなタッパーに入れます。

二つのタッパーの表面には「大好き」または「大嫌い」のラベルを貼ります。残りの一つには何も貼りません。

その後、室温で3週間ほど放置し、蜜柑の外観が変化していく様子を観察するだけなのですが、この期間に家族全員が毎日少なくとも一回それぞれの蜜柑に感情を込めて声かけしました。

1)「大好き」のラベルが貼られた蜜柑には、「好きだよ」とか「愛してる」とか「今日もキレイだね」とか「素敵!」といった言葉をかけます。もちろんこの時は笑顔です。

2)「大嫌い」のラベルが貼られた蜜柑には、「お前なんか嫌いじゃ !!!」「向こう行け!」「うざっ!」といった言葉を畳みかけます。

3)無視する蜜柑には見向きもしません。

3週間後、結果は写真の通りになったのですが、




「大嫌い」の蜜柑よりも「無視」された蜜柑の方が外皮がごわごわして、時間経過による傷みが激しかったです。

今回は一度(一組)しか実験をしなかったのでこの結果が再現されるかどうかは分かりませんが、偶然に起こるとしてもその確率は(1/3)の3乗で約3.7%。

初回の実験で5%にも満たない事象が都合良く起こるとは考えにくいんですよね。*p < .05 です。

食べ物に人間の心が通じるチャネルがあるのかどうかは現代の科学をもってしても不明ですが、我々がまだ目に見える形でアイデンティファイ(identify)できていない心的エネルギーが人の身体から放出され、周りの生命体に(ひょっとするとその他あらゆる物にも)影響を及ぼしている可能性を想像させる興味深い実験結果です。