2015年8月31日月曜日

と思うんだよね

息子の小学校も今日で夏休みが終わり、明日から始業式。せっかく自由に遊んで勉強もよくしてたのに学校始まるとなかなかそういうわけにもいかなくなるよね。登下校も含め朝8時頃から夕方4時頃までの8時間って一日の3分の1なんだけど、その時間を学校で過ごすことが本当に息子のためになっているのかどうか? 別に息子が学校で肩身の狭い思いをしているというわけではないんだけど、かといって学校が特別に楽しいかというと全くそうでもないみたい。学校無しに、規律とか協調性とか助け合いの精神とか学べるわけないでしょ、なんて言う人がひょっとするといるのかもしれないけど、そんなの本当に学校通うことで身に付くのかな? だらしなさとか身勝手さとか弱者に対する無関心とか、学校教育でどうなるものでもないと思うし、社会に出て人の上に立つ人たちって、結構だらしなくって、身勝手で、弱い者いじめしている人が多いように思うけど。。。世間的にみればあまり良い親ではないのかもしれないけど、学校とは関係なしに、立派な人間になる人はなるし、ならない人はならないと思うんだよね。

あっと言う間に

CBRベーシック3日目終了しました。今回は3日連続終日授業で体力勝負といった側面が強かったですが、あっと言う間に終わりました。講義自体で20時間を超える長丁場のセミナーとなりましたが、テーマ毎に活発に質疑応答も行い、集中講座と呼ぶにふさわしい3日間でした。このコースでは『カンデル神経科学』をテキストにニューロサイエンスの主要原理を講義するわけですが、どうやってあの分厚い本の内容を3日間のプログラムに凝縮するかが勝負どころなんですよね。端折ってしまうと結局表面的な知識しか身に付かないし(でもこれで理解したことにしているセラピストは少なくない)、細部の全てを網羅することや沢山の研究事例に精通することが初学者にとって重要かというとそういうわけでもなく(でもそういうことに精を出すセラピストも少なくない)、できるだけ覚えることは少なくした上でニューロサイエンティフィックな考え方を体得できるようにすることが大事だと思うんですよ。でないと、ニューロサイエンスに基づくリハ研究や臨床をするとしても、結局は真似ごとで終わってしまうように思うんですよね。ま、「もどき」をどのように本物らしくみせるかというスキルもセラピストの世界では大事なんだろうとは思いますけども。

2015年8月28日金曜日

みなぎるパワーと共に

今日からCBRベーシック第2期が始まりました。朝から夕方まで喋りづめで夕方4時ごろには一旦声が枯れかけてきてコリャちょっとヤバいという感じの局面もあったのですが、そこを何とかやり過ごして終了間際にはまた活力復活。みなぎるパワーと共に一日目が終了しました。ホッホッー!!! 今期は3日集中サマースクールでの開講ですので、実は明日・明後日も今日と同じく6時間以上にわたる講義スケジュールが待ち構えているのです。この3連戦を乗り切ればこの夏もめでたく終了! 9月に入れば、12日・13日と淡路夢舞台でのCBR2015が待ち構えています。まだ残席あるんで、駆け込み参加を希望する方はこちらからお申込を → http://stellar-mind.com/cbr2015 。皆さんのご参加お待ちしています。

みたいな勢いなんです

ここ数日とは話題を変えて、今、一部でシェアされてる山本太郎氏の国会質問についてちょろっと一言。。。アメリカが戦犯常習国であり、戦争をやることで経済を回していて、イラク戦争でも日本との戦争でも人道的に酷いことをしてきたじゃないですか、総理、、、という趣旨の質問なのですが、そういうことって、これまで誰も国会で口にしてこなかったんですかね。僕がアメリカにいた時にちょうどアルカイダやイラクとの戦争があったのですが、アメリカって、と言うかアメリカ人の多くは、自分たちがアメリカ人であるということにスゴい誇りを持ってて、自分たちは一番でそして正しいんだから何をやっても正しいことのためなんだって本気で思ってるんですよね。ほんと「アメリカ教」の信者の集まりみたいなんですよ。日本しか知らない人がその場にいたらかなり異様な感じがしますよ。それで、自分たちの身の安全を脅かすものは「みんな殺せー!」みたいな勢いなんです。もちろんみんながみんなそうではなくって、大学の人たちなんかは少なくとも見かけ上は戦争に関する限り反政府的な立場を取ってる人が多いんですけど、国民全体としてみれば信じられないくらい好戦的なんですよね。だから本当のところは僕には分かりませんが、たぶん、日本との戦争でもパールハーバーでやられてアメリカ国内では同じような調子だったんじゃないでしょうか。十分あり得る...。個人的には、戦争法案の賛否とかアメリカへの気遣いとか、そういうことはさておき、もし日本の総理大臣が原爆落とされたこととかについてこれまで独自の判断をしてないなら、この機会に一度はっきり聞いてみたいもんですね。

2015年8月27日木曜日

慣性の法則

昨日一昨日のブログはまた続編を書きたいと思ってるけど、まだスラスラ書けるほどには機が熟してないのでいずれその時が来たら(いつもそれは突然やって来る)書くことになるだろう。若い理学療法士が抱く希望って何なんでしょうね? 希望があったら目はキラキラすると思うんだけど、それが無いから死んでんだよね。ま、多くは希望はあっても日々を埋めるルーティーン(routine)に流されて「本当にやりたいことができない」ままに歳を取っていくんだと思う。だから誰もが抱くふんわりとした希望だけでは不十分で、それを叶える(pursueする)ための決意というか何かを捨てる覚悟も必要になるのかもしれません。それを捨てれないと、結局は死んだ群れの中で日々安定した生活を送ることになるんだろうね。つまりこの前書いた、慣性の法則

2015年8月25日火曜日

一般的な経験則に従えば

昨夜は理学療法士の目の輝きについて書いたのだが、一般的な経験則に従えば、輝いてる人が2割、そして死に絶えてるかあるいはそのことを隠している人が8割といったところではないだろうか。2対8の法則。希望というのは「希」な「望」みと書くように、普通は世間のごくごく一部にしか存在しない貴重なものだと思う。勉強することと希望があること、そして目がイキイキしていることの間に因果関係があるのかどうか定かではないけれど、少なくとも目が死んでる人に学ぶエネルギーがあるとは思えない。これは学生にも同じこと言えるんだよね。勉強してない子たちって、大抵、目が死んでてダルそうに見えるんよ。。。希望があるから勉強するのか、あるいは勉強するから希望が湧くのか、おそらくその両方だと答えるのが最も無難な回答だと思うんだけど、理学療法士が抱く希望の本質と勉強する動機については、ちょっと考えてみたいと思う。

悪魔の力

先日聞いた話なんだけど、理学療法士の目の輝きが失われるのは卒後3年を終えた頃かららしい。たぶん作業療法士も良く似たものか場合によってはもう少しその時期が到来するのは早いんじゃないかということだった。就職したての頃は日々の業務をこなすのにまだ精一杯で、輝くとかどうとか言ってる場合じゃないのだが、少し落ち着いて周りのことが見えて来ると、ひどく気が滅入る毎日を迎えることになるのかもしれない。理由は様々だろうし、みんながみんな死んだ目をしているわけではないだろうけど、そういうセラピストが多いということが事実であったとしてもそんな不思議な気もしないところが恐ろしいところである。僕自身は就職して3年目とか4年目とか結構仕事充実してたんだけど、時代がもし今だったとしたらどうだろね? 昔よりもいろんなことが簡単に出来る時代になってると思うけど、出来たところで大したことにはならないだろうという将来に向けての見通しが、輝こうとする心を悪魔の力で抑圧しているのかもしれないね。

2015年8月23日日曜日

圧倒的に低いわけですよ

さて、今日は予定通りならばCBRのリサーチスクールを開講する日だったのですが、参加希望者が一定数に満たなかったので今期の開催はキャンセルしました。「三日物」なのでスケジュールの都合がつかなかったり、費用的に難しかったりした人が何人かいました。ま、それでも受講意欲のある人の数が多ければそれなりに集まったのかもしれないですが、たぶん臨床してる人で「リサーチ」と言われても「関係ない」と思う人たちが多いんでしょうね。そこのところを「いやいや関係あるんですよ」ということをもっと伝えなくてはいけないんですけど、それはそれでコミュニケーションスキルが必要であったり手間がかかったりして難しいんですよ。ほとんどのセラピストは研究と臨床の繋がりって本当に実感したことはないだろうし、研究やってる人たちも本気でそれらが繋がるなんて思ってなかったり(つまり研究と臨床は「別物」という認識)、研究するモチベーションは学会とかで「目立ちたい」とか「カッコ良いと思われたい」といった自己顕示欲であったりするからね。これは今回のスクールの話とは別に一般論ではあるんだけど、研究することやそれを支援することの真の成功体験が絶対的に不足しているので、やっぱ業界としての研究(学問と言っても良い)に対するリスペクトは圧倒的に低いわけですよ。ま、コレ、元を辿れば業界というより日本人全体の問題であったりするわけなんだけどさ。今、日本で言う「学問」って所詮は西洋から輸入したものなんだよね。。。それで今日は息子の友達のご家族2組と川に遊びに行きました。久し振りに水に浸かったりBBQしたりして、また一つこの夏を満喫しました! 炭火でバームクーヘン作ったんだけど、焼き立てって、ホント美味しいんだよね^^

2015年8月22日土曜日

めっちゃイイ学会ですよね

8月20日・21日に高松市でCBR第5回定例合宿勉強会を開催しました。勉強会の様子と坂本ラボの様子を重ねてビデオ収録しました。大学院生と対談しています。CBRまたは当ラボでの研究に興味のある方は是非ご覧下さい。ビデオの途中で坂本が「めっちゃイイ学会ですよね」という場面が出てきますのでそこは特に注目下さい。動画の再生はここをクリック

★ CBRテレビ Vol.15 ★昨日(8月20日)と今日(21日)と高松市で開催されたCBR第5回定例合宿勉強会が終了しました。勉強会の様子を坂本ラボの様子と重ねてビデオに収録してみました。大学院生と研究についてお話していますので、興味のある方は是非ご覧下さい。CBRディレクター坂本年将
Posted by CBR on 2015年8月21日 

無数の細部が

昨日と今日と高松市で勉強会でした。CBR第5回合宿勉強会です。普段なかなかラボのメンバーとゆっくり話す時間もないので、たまにこういう形で特別に時間を作らないと細かいところまで意思疎通できないんですよね。「阿吽の呼吸」とか「ツーカーの仲」とか多くを語らずとも分かり合えると理想的なんでしょうが、少なくとも研究に関して言えば、それではうまくいきません。コンピュータ・プログラムに一つ小さなバグがあるとそれだけでシステムが動かなくなるのと同じで、研究も無数の細部が集積することで初めて成り立つものだと思います。その昔、ワトソンとクリックがケンブリッジで毎日4〜5時間DNAの構造解明に向けてとことん話をしていたらしいですが、ホンマそのくらいやらんとアイデアって形を成していかないと思うんですね。ま、これは研究に限らず、臨床も同じだと思うけど、なかなかそこまで議論する時間もなければ知識も熱意もないことがほとんどなんでしょうね......みたいなことも含めて今回の勉強会では話しました。

2015年8月19日水曜日

価値を伝えるのは難しい

3年生の科目「理学療法研究論」の成績を出しました。期末試験を受験した人たちは全員合格です。試験の平均点は56点か57点で決して良くはなかったんですが、この科目は中間・期末試験以外にも小テストやらレポート課題やらが複数あるので、試験が多少難しくてもまじめに課題を提出していれば不合格になることはほとんどありません。ま、それでもたまにダメな場合もあることはあるんですけど、今年は幸い大丈夫でした。僕は内心、この科目があることで神戸学院大学(の理学療法学科)とその他の学校との差異が生まれていると思うのですが、それはなかなか効果としてはっきりと目には見えないし、受講している学生も何が違うのか実のところはよく分からないだろうと思います。いろいろと経験を積んで問題意識を持たないと同じ内容のことを話しても伝わり方は違うんですよね。ま、経験してもみんなが同じ問題意識を持つようになるとは限らないんですけども...。ノウハウ(手順)を教えるのは比較的簡単なんですけど、価値を伝えるのはなかなか難しいことなんですよ。

2015年8月18日火曜日

結構ハードに

今日からゆっくり仕事再開です。と言ってもCBR2015の撮影の件でココロスタジオの高見社長と打合せしたり、残っていた試験の採点したりと結構ハードにやりましたけど。。。休みの間はあちこち動き回ってゆっくり考える暇もなかったんですが、それでもいろいろとこれからやるべきことが見えてきました。人と同じことをしてもワクワクしないし、自分だからこそ出来ることをしたいですね。昨日の話にも通じることなんだけど、人が歩んだ道をなぞるのは楽と言えば楽なんですが、それだと端からは成功したように見えても僕にとってはあまり意味のないことなんですね。目的地に辿り着けるかどうか分からない道を歩むことで初めて見える景色があるはずです。誰に向けての仕事かというと当面はセラピストとその周辺に向けての仕事になるわけですが、あまりリハビリっぽい雰囲気のものじゃないというか、リハビリを超えて通用することをしたいですね。今年もあとおよそ4ヶ月なんですけど、やれることはまだまだあると思います。

2015年8月16日日曜日

経験というのは偉大なもので

ここ数日、夏休みでブログお休みしてたんですが、今日から再開。天川村は去年の夏、車で通過した時にその山道(国道309号線)の険しさが印象的で、今年はそこで一泊してみようと思いました。出かける数日前に検索して、洞川温泉に一部屋空きを見つけました。「角甚」という老舗旅館。ちょうどキャンセルが入ったところを僕が拾ったようです。このお盆の繁忙期にラッキーやったですね。。。去年のこともあって、初めはジャングルか崖っぷちか、とにかくワイルドな世界を想像してたんですが、行ってみるとアクセスも良くって結構賑やかなところでした。どうやら大阪からこの温泉地帯までは道路整備が進んでいるようなんですね。道が本当に険しいのはここから国道169号線に向けて南下する25kmほどの間なんですよ。結局、今回も熊野に抜けるのにこの道を通ったんですが、経験というのは偉大なもので、今年はずいぶん楽でした。道自体は去年と全く変わってないんだけど、細かいことを言うと、カーブの予測とか bump に対する運転上のちょっとした配慮とかが出来るようになってたり、大きなところでは、この道を行けばどんなに険しくても目的地に辿り着けるという安心感があるわけです。山深いだけではなくどこか奥深さも感じる天川村。いろんなところに人生のメタファーってあるんだよね。

2015年8月12日水曜日

ホントいるんですよ

もう日付が変わっているじゃないか。今日から大学は夏休みで事務窓口は一斉休業なんですが、僕は夕方から深夜までオフィスで仕事してました。明日から out of town なんですよ。アメリカの研究者だと2週間ほどサマーバケーションを取る人たちが多いですが、日本でそこまで休み取る人は少ないですよね。普段そこまで仕事してないから別にまとまった休暇も必要ないのかもしれません(笑)。僕も若い頃ほど夏の長期休暇に対する憧れがないんよね。2〜3日あれば十分かも。。。で、今日は休みのこと書くつもりではなく、昨夜の続きを書こうと思ってました。言葉に関するお話です。こういう話ってよく「近ごろの若者は...」みたいな文脈でなされることが多いように思うんですけど、不思議とこういうことにうるさい人って、その人自身、言葉使い悪いんですよね。多くの場合は妙に馴れ馴れしくって態度も横柄なことが多いです。皆さんの周りにもそういう人って1人や2人いますよね? いや、ホントいるんですよ、一定の割合で。大抵、典型的な表現型してるので、よく観察してなくても分かります。遺伝なんですかね? そういう人見てると、「なんでこの人そんなに偉そうにしてるんかな?」と時どき思うんですけど、本人の頭の中ではたいした根拠も無く、自分は人と比べて立派だと思ってるんでしょうね。それともバカな文章書いてたりする人見たら、自分の分身見てるようで放っておけないのかもしれないね^^

2015年8月11日火曜日

決して高くはないと思う

さっき永井先生がFBに投稿してた記事に理学療法士(だと思う)の文章に関する記載があった。意訳すると「なんやコリャ?」というレベルの代物だったらしいのですが、そういうのってやっぱありますよね。ま、僕の周りは学生を含めてインテリが多いのであまりに酷い文章を目にすることはないのですが、ちょっとした偏見をもとに概して言うと、PTの国語力って決して高くはないと思う。いや、かなり低いんじゃないかな。。。主語と述語がはっきりしてないこともままあるよね。それに論理が飛躍してたり、言葉の定義を明確にしてなかったり(つまり曖昧ということだ)、ほかの解釈も成り立つようなことでも一義的にガンガン独りよがりで断定しちゃってたりするなんてこともある!ある!ある!ま、こんなこと言ってる僕も文才ないし、想像力ないし、人間性低いし、偉そうなこと言えるわけではないんだけど、文章で「すみません」っていうフレーズ見ると、そこは「申し訳ありません」でしょ、って言いたくなるんですよね(笑)。もちろんソレいちいち言い出したら大変なので口に出すことはないんですけど。

2015年8月10日月曜日

自分が思っていたのと違った...

昨日はオープンキャンパスのこと書きましたが、職業選択というのはその人の人生においてとても大事な決定事項なのに多くの人は案外さらっと決めてたりするんですよね。コトの大事さという点では、結婚相手決めたり家建てたりするのも同様だけど、そういうのも人って案外簡単に意思決定しちゃったりしてるように思う。場合によっては、数千円とか数万円の物を買う時の方がよっぽどアレコレ調べて迷ってるんじゃないかな。。。案件があまりにも大きくなると、ちょっとやそっと調べたり考えたりしても仕方がないということもあるのだろう。考慮すべき変量の数が増えるとそれだけ一つの結論に至るための演算は複雑・煩雑になるし、そんなややこしい計算やってらんないということになれば、エイや!と楽観的な理屈を作って取りあえず自分を納得させてしまうのかもしれない。でも、「自分が思っていたのと違った...」ってことも少なからずあるよね。普通に考えて。。。たとえば理学療法士であれば、「理学」って言葉に惹かれてその世界に入ってくる人たちも割と多いんじゃないかと思うけど、そういう人たちは必ず思うだろうね。「自分が思っていたのと違った...」てね(笑)。

2015年8月8日土曜日

世の中、楽な仕事はありません。。。

オープンキャンパスでした。僕は午前と午後に「脳神経科学」の体験授業を行いました。合計100名ほどの参加者がいたかと思います。理学療法に興味を持つ人たちは年々増えてきてるように思うんですがどうなんでしょうか。国家お墨付きの資格を取って、日々人を助けながら安定した生活を送る。端から見てると立派な仕事に見えるのかもしれませんね。いや、もちろん立派な仕事ではあるんですが、いろいろと大変なこともあるんですよぉ〜、なんてことも含めながらお話しました。世の中、楽な仕事はありません。。。それが終わって夕方、研究絡みの会議を2時間ばかり行いました。いつもとは違うテーマで新規プロジェクトの可能性を探るexploratoryな会議だったんですが、こちらはこれから少しずつ形あるものにしていければと思います。単なる勉強ではなく、たとえば1年経った時に実績として残るようなことをしていきたいですね。

(敢えて「ゼミ生」とは言わない...笑)

大学はオープンキャンパスでした。暑い暑いかんかん照りのOPです。でも僕は今日は出番はなくて、学部のラボ生(敢えて「ゼミ生」とは言わない...笑)と今後の研究について討論しました。4年生は4ヶ月にわたる臨床実習を終え帰ってきたばかりで卒業研究のことなどもうとっくに忘れています。こういう中断が入るとモチベーションの消失と共に研究効率下がるんですよね。せっかく良い感じで研究意欲が高まってきていたのに...と思うことは多々あります。臨床を経験しちゃうと学内での研究がしょうむないことのように思われることもあるでしょう。でも臨床を3年ほど経験すると、また今度は臨床が毎日同じことの繰り返しのように思われてきて研究らしきことをやってみたいと思うようになるのです。。。ま、でも実際にそういうこと始めるのはごくごく一部の人たちに限られるとは思うけど...。ほとんどの人はちょっとくらい違和感抱いても、日々の繰り返しに慣れるというか馴染むというか、悪いなら悪いなりにその状態に適応するものだと思うんですね。。。慣性の法則...(笑)。でまぁ、それはさておき、うちの4年生に限っていえば、これから記憶を辿り辿りしながらささっと論文書いてくれるものと期待しています。3年生は大学院生の指導の下にせっかく良い出だしを切ったんだから、臨床実習行く前にドカンと成果を上げて欲しいと思います。

2015年8月7日金曜日

やり出したら速いです

今日は理学療法士の教育の話は一服して、研究の話を少しばかり。うちの大学院生の実験がまた一つ終了しました。作業としては簡単な実験なんで、やり出したら速いです。動物小屋に行く必要も無いし、プライマリーカルチャー育てる必要もないし、ハエやマウスをクロスする必要もありません。結果は仮説どおりで、大袈裟に言えば、また一つ真理に近づいた感じがします。ま、まだまだ検証実験やらなくちゃいけなくってこれから不思議な結果もたくさん出て来るのかもしれないですが、それはそれで嬉しいことなんですよね。。。さて、8月20日・21日とCBRの第5回定例合宿勉強会を高松市で開催します。今回は外部の人もゲスト参加できるように設定しました。プログラムなど勉強会の案内をこちらのサイトにアップしています。興味のある人がいるかどうか分かりませんが、大学院を検討している人たちは、ラボの下見になるかと思います。ホント長時間にわたり徹底的に議論しますので、終った時には少しお利口さんになっているはずです。

2015年8月6日木曜日

追いつくのに何年かかるんだ?

さて、また昨日の続きを書きますかね。理学療法士の養成に必要な修業年限とは。。。今日は大学と専門学校との違いについて少し考えてみたいと思います。もう夜も遅いのでそんなに深い話にはならないと思いますが、思いつくままに一つか二つ。時どき若い理学療法士と話をする機会があるんですが、その人たちの話を聞いていると大学を出ることの意味ってあまり感じていないみたいなんですね。ここで言う「意味」とは大卒の専門卒に対する優位性という意味です。給料もほとんど変わらないし(違っても月数千円...)、また違ったところで3年で理学療法士免許取った人と4年で取った人ではかけた教育費も1年分違うし、加えて1年早く働き始めるので1年分の年収差と臨床経験の差が出ますよね。トータルでみるとどうなんでしょう?金銭的に見ただけでも、スタート時点で大卒が専門卒に対して500万円くらいのビハインドを背負ってるんではないでしょうか?これ追いつくのに何年かかるんだ?また追い越したとして、生涯賃金としてどれだけの差が出るんだろ? 誰かデータ持ってたり試算してる人がいたら教えて下さい。。。普通は中卒より高卒、高卒より大卒の方が押し並べて見れば生涯賃金は高いわけだけど、理学療法士の世界に限ってみれば、専門卒であろうが大卒であろうが、同じ理学療法士という括りの中であまり変わらないのかもしれないね。

2015年8月4日火曜日

学費が2年分で済むわけだし

昨日は臨床実習の話から勢い余って理学療法士(PT)の養成教育って2年で出来るんじゃないの?という趣旨のこと書いたんだけど、これは一度検討してみても良いかもしれない。現に3年制の専門学校でPTになれることは立証されているわけだし、4年制の大学行かなくちゃ立派なPTになれないというほどのものでもないんですよね。今、PTの世界で活躍してる偉い先生たちってほとんどは専門学校の卒業生じゃないんですかね? だから3年制の教育を洗練して2年に圧縮することを考えるわけです。確かに臨床実習を半年もやるとなるとなかなか大変かもしれないけど、そういう現場の経験を卒後に回すことができれば絶対に無理という話でもないはずです。2年で座学を終え、そこで一旦筆記試験。その後、無給か薄給かの「見習い」ポジションで医療・介護施設に就職し、1年理学療法実務の経験を積んだ後に再び筆記試験 and/or 実技試験をやるわけです。そしてそこで合格することで1人前の国家資格が与えられるというわけですよ。確かにそういうシステムを構築・整備するのはなかなか大変だろうとは思うし時間がかかることなのかもしれないけど、PTみたいなプラクティカルな仕事は学校に長く居るより現場で揉まれた方が遥かに教育効果があるんじゃないかと思うんですね。学生も学費が2年分で済むわけだし、今よりももっとPTになりたいって人が増えるかもしれないですよ。

2015年8月3日月曜日

マニュアル派かもしれない

先週末に学外実習を終えた4年生が帰ってきました。いろいろとあったとは思うんですが、as if あたかも何もなかったかのようなスマートな症例報告会でした。学校が出来て10年も経つと先輩から受け継がれる実習ノウハウも蓄積されて、一つの型が出来ているように思います。どうなんでしょうね。やり方さえ知っていれば出来ることを知らないばかりに試行錯誤してマスターするのと、マニュアル片手に無駄なく出来てしまうことと、どちらが長期的に見た場合に教育効果があるのでしょうか。僕は実習に関してはどちらかというとマニュアル派かもしれない。というか、情報さえあれば出来ることはどんどん情報与えて、それでも行き詰まるところで試行錯誤させた方が遠くに行けると思います。コレ、理学療法の教育全般に言えることだと思うんですね。僕たちが学生であった頃はほんとうに無駄な時間がたくさんありました。そして今はその無駄はかなり省かれたと思うんですが、それでもまだまだ同じことを教えるのに時間を短縮していくことは出来ると思います。大学では4年、そして専門学校では最短3年で養成教育をやっていますが、本当は2年ほどでも出来るんじゃないかと密かに思ってまふ...。

2015年8月1日土曜日

「専門」と言えば

昨夜はこれから脳科学をやるなら数学を学ぶが良いという趣旨のことを書いたんですが、数学を使って本当に何かを理解したり表現したり出来るようになると仕事の幅広がるんですよね。「数学者」というところまでいかなくても、他人(ひと)が書いた数理的な内容の論文を理解したり、既知の数学を使って仮説を定量的に表現できるようになれば、それは一つの確たるスキルになる。これまでの生物学だと何か新規の物や現象を発見したり生み出したりしないとノーベル賞(たとえばね)は取れなかったりしたわけですが、今後は生物学でも経済学のように現象を美しく有効に説明する数理モデルが受賞の対象になったりするかもしれません。。。話は飛躍しますが、理学療法の入試面接で「まずは数学を学ぼうと思ってます」なんていう受験生が現れる日が来るんでしょうか? 来たとして、面接官の教員がその意味を理解することができるのか? 「専門」と言えば、「スポーツ」とか「回復期」とか「地域」とか、そういう言葉しか思い浮かばないようなら大した未来はやって来ないのかもしれません。

脳ミソに悪いよね

さて、今日で神経科学会終わりました。午前中は大学での仕事があって下條先生のトークも聞けなかったのですが、午後からの包括脳プロジェクトに絡んだお話と市民公開講座「脳科学の達人」を拝聴しました。僕は思うのですが、脳研究は明らかに次のステージに進もうとしています。分子生物学が単一遺伝子の発見・解析からゲノムサイエンスへと進んで行ったように脳科学も単一ニューロンやシナプスの解析から脳全体の機能を規定するニューロナルネットワークの解明に進もうとしています。しかも分子から認知行動に至るマルチレベルな分析・統合を通して。。。こうなってくると大量のデータを集約するためのアルゴリズムが必要になるわけで、数学の知識と偉大なる想像力を兼ね備えた人たちが重宝されるようになるんでしょう。僕がまだ10代でこれから脳科学やるなら追っかけるテーマに関わりなくまず数学をやるだろね。。。この4日間、久々に神経科学と英語のシャワーを浴びてまた一つ成長できたと思う。やっぱ、たまにenlightenされる機会がないと脳ミソに悪いよね。