2015年10月25日日曜日

モロに出たりする

先日、「それ知ってる」というブログを書いたのだが、思っていることや理解している(と思っている)ことを言葉で表せるかどうか試してみることって大事だと思う。話し言葉ではなく、文章を書けるかどうかということですけど。オーラルだとどれだけゆっくり話しても流れが速くなるので実は辻褄の合わないところも見逃してしまってあたかも理解したかのように思ってしまうことがある。その点、ペーパーの場合は何度も読み直せたりするので矛盾やウニャウニャしたところがある場合はそれがモロに出たりする。話す時に言葉を失うということもあるだろうが、書く時の方がその苦しみを味わうことが多いんじゃないか。やっぱり書けなければそのぶん理解の度合いは低いってことだと思う。確かに「言葉にできないほどの深いこと」や「無意識下に理解している深いこと」もたくさん存在するとは思うんですけど、それを言葉の世界で顕在化することでその深いアレコレもさらに深く理解することになるわけです。そんなことを最近、学会抄録書きながら改めて感じたんですが、この前のブログと繋げてみると、書ける人はその理解していることを現実世界で使える人ということになる。一度検証してみたい仮説ですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿