2012年10月28日日曜日

「理想的な生活」って、いつ来んの?

今夜もまた唐突な話なのだが、「理想的な生活」って、いつやって来るんでしょうね。僕自身のことを言えば、「もっと良い暮らししてえなぁ」という思いで子供の頃からこれまで生きてきたように思うのだが、これって、裏返せば現状に不満なところがあるってことで、不満を感じるっ
てことは理想があるってことだよね。ま、「良い暮らし」っていうのは別に「良い車に乗って」とか、「良い家に住んで」とか、「旨いもん食って」といったようなことばかりではなくって、「好きな仕事だけする」とか、「観たい映画を観たい時に観る」とか、「想いを共有する人と繋がる」とか、そういったことをも含む「良い暮らし」である。リハビリ地方(理学療法かな?)の方言を用いれば、「量的」にも「質的」にも「良い暮らし」って言うと分かりやすいですかね。思えば、僕が生まれた家はそれほど裕福な家ではなかったし、文化的にも洗練とは縁のない家だったわけで、僕が10代の頃に思い描いていた大人になったときの理想の暮らしと今現在の暮らしとを比較すると、「これって思ってたのより良いんじゃないの?」と思わないでもないのだが、それでも今現在の自分の心の中を覗き込むと、まだまだ、いやまったく不満なことばかりで埋め尽くされているんですよね。たぶん、人間の欲というのは果てしのないものなのだろう。あるいは、この世に見えざる手で人を導く神さまがいるのだとしたら、絶えずその人が成長するべく、等身大の試練をその人にお与え下さっているのかもしれない。「あるべき自分の姿を求め続けることが人生である」。そんなことがもし哲学書に書かれていることがあるとしたら、僕はその言葉に心の中できっと「いいね!」をすることだろう。。。

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