2014年8月10日日曜日

ひとつの道を歩むことのリスク

先日、STAP騒動の中で当事者のお一人が自らの命を絶ちました。僕にとっては直接関係のない話ではあるのですが、ニュースを聞いてやはり幾つかの感想は抱きましたね。テレビや新聞って、どうして視聴者や読者にとって直接関係のない人たちや出来事についてあんなに熱心に報道するんでしょうか? また視聴者や読者も自分の生活には直接関係のない人たちや出来事にどうしてあんなに関心を持つのでしょうか? 結構、不思議だと思いませんか? 一部の人たちはマスコミが殺したんだと物騒なことを言っていますが、僕はそこまでは思わないですね。研究者サイドも彼らを使って自分たちの研究成果を世に広めているわけで、そこは諸刃の刃というか、マスコミって単に amplifier だと思うんですよ。。。それにしても、人間って疲れると希望を見出せなくなるものなんでしょうか。部外者から見ればですけどね、自らが不正をしたわけでもなく、またSTAPの存在を信じるのであれば、周りの人たちが何と言おうとその存在を証明すれば良いんじゃないかと思うんですけど、そんな単純なものじゃないんでしょうかね。。。そういうことも心身が疲弊してくるとどうでもよくなってしまうんでしょうか? 仕事でつまずいてしまった事実が受け入れられなかったのか、周りから拍手をされて生きて来た人生が突如として罵声を浴びることになった事実に耐えられなかったのか、限定された道においてしか自分の人生を想像することができなかったということなんでしょうか? 一つの道なり自らが描くあるべき自己像を大切にしながら生きることは何かを成し遂げる上で必要なことなんだろうとは思うけど、それはそれで危なっかしい生き方なんだろうなと、無責任な報道に無責任に感想を抱いた次第です。

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