2013年1月29日火曜日

暴力へのライセンス

このブログではあまり好んで時事的なテーマには首を突っ込まないことにしているのだが、たまには書いてみたくなることもあるんですよね。「時事的な」というのは、日々移り変わる政局だとか、新聞の三面記事を賑わしている事件だとか、日経平均やドルが上がった下がったといった
ような事どもです。ま、僕はテレビを見ないし、新聞も取ってないので、世間の人たちが今何に盛り上がっているのか良く分からないということもあるんですけどね。

で、まあ、そんな世事に疎い僕ではあるんですが、今日ちょっと時間を割いて書いてみようと思うのは、最近、大阪のS高校やらその他多くの中高で同時多発的に顕在化している「体罰」のこと。これ、僕には何でこんな言葉が普通に世間に流通しているのかよく分からないんだけど、「体罰」って単純に言うと、権力を持った人がそれを持っていない人に振るう「暴力」のことなんじゃないんですかね。

学校の先生と生徒の関係で言うと、先生が生徒に振るう暴力は「体罰」で、生徒が先生に
振るうそれは「校内暴力」(←今でもこんな言い方するのかどうかは分かりませんが)なんて言われます。「体罰」は正しい暴力で、「校内暴力」は誤った暴力。先生が生徒に暴力を振るっても、生徒が先生の言うことを聞かなかったというような事実があれば、それはいとも容易く正当化されて、先生が停職処分を受けることなんてことはないですもんね。それとは対照的に、理由の如何に関わらず、生徒が先生に暴力振るうと、やっぱ停学とか場合によっては退学なんてこともあるんじゃないんですかね。

暴力を振るう理由は、先生にしてみれば、生徒が授業を聞かないとか、バスケでミスしたとか、街中で万引きしたとか、「より良い生徒になって欲しいから」という指導的な思いがあるってことなんでしょうけど、これって、どうなんですかね。少なくともバスケでミスした生徒を殴るっていうのは、チームの監督として、自分の思いどおりに行かないことのフラストレーションを暴力という形で表現しているだけなんじゃないんですかね。憂さ晴らしですよ。あるいは人を思い通りに操るための暴力。先日、神戸の留置所で自殺した尼崎のおばちゃんがいましたが、学校の先生がやってることも、程度の差はあれ、本質的にはあのおばちゃんがやってたとされることと同類なんじゃないですかね。

ま、S校の加害者の先生がどんな人なのか僕はもちろん知らないんだけど、傾向として、こういう学校の部活動の顧問(特に強いチームの指導者)って、別に生徒のために一生懸命やってるわけではなくって、真の動機は自分のプライドや強いチームの指導者であることに対する気持ち良さだったりするように思うんですね。

ここで自分の経験を持ち出して恐縮なんですが、僕も中学の時にバレーボールやってて、結構その小さな世界では有名な先生が顧問やってたんですよ。この人なんてホント、エゴの塊で、嫌な人でした。僕も試合中にミスして、しょっちょう叩かれてましたよ。確か、「田中 潔」とかいう名前だったように記憶しています。体育の先生(後に聞いた話では、学校から教育委員会に移ったという)。それともう一人、「西藤(ニシフジ)」なんていう男もいましたね。確か国語の教師だったですかね。僕と同級生の二人なんて、背筋トレーニングさせられながら、あごの下に火のついたタバコ置かれたりしてました。「背筋緩めたら熱いよ」ってことです。。。ロクでもない人たちです。

で、僕は思うんですけど、学校の先生って(ま、一部の人たちなんでしょうが)、相手(生徒)が弱い立場にいることを良いことに、暴力振るうことに対する心理的ハードルが途轍もなく下がっちゃってる人たちなんじゃないかと思うわけです。もう手を出すことの罪悪感すら感じてないんじゃないですかね。S校のケースも僕が見聞きする情報だけで判断すれば、やっぱあの顧問の先生って、そういう感覚の人のように思いますね。でなければ、生徒の顔が腫れるまで殴らないでしょ。それでバスケが上手くなんの?だとしたら、新しいトレーニング理論だね。亡くなった生徒のおやじさんが顧問を刑事告訴したっていうのは当然のことだわね。。。

よく考えると、高校までの教員以外に職場で人を殴ってお咎めがない職業って、あんま無いように思うな。何かあります? 教員免許って、人を殴ることを正当化するためのライセンスなのかもしれんね。。。

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