昨夜は理学療法士の目の輝きについて書いたのだが、一般的な経験則に従えば、輝いてる人が2割、そして死に絶えてるかあるいはそのことを隠している人が8割といったところではないだろうか。2対8の法則。希望というのは「希」な「望」みと書くように、普通は世間のごくごく一部にしか存在しない貴重なものだと思う。勉強することと希望があること、そして目がイキイキしていることの間に因果関係があるのかどうか定かではないけれど、少なくとも目が死んでる人に学ぶエネルギーがあるとは思えない。これは学生にも同じこと言えるんだよね。勉強してない子たちって、大抵、目が死んでてダルそうに見えるんよ。。。希望があるから勉強するのか、あるいは勉強するから希望が湧くのか、おそらくその両方だと答えるのが最も無難な回答だと思うんだけど、理学療法士が抱く希望の本質と勉強する動機については、ちょっと考えてみたいと思う。
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