2013年10月5日土曜日

そんなこと言ったかなぁ...

全国研修会二日目終了しました。今日も神経関連のセミナーを中心に参加したんだけど、朝イチのは時間がなくって、聞きたいことが聞けなかった。残念。で、その後、認知神経リハの実習見学したり、症例報告聞いたりして、研修会は閉会したんだけど、その後にさらにポストコングレスのセミナーがあって、これまた認知神経リハのセッションに参加した。

高次脳機能障害に対するリハビリの話で、こちらは最後に時間があったので幾つか質問させてもらったんだけど、話の中身がどうのこうのと言う前に、何て言うかこう、ちょっと下品な感じしたんだよね。ま、それは僕が錯覚しただけのことなのかもしれないけど。。。

で、質問の内容は、さまざまな感覚情報を使って運動表象を形成するのは理解できるんだけど、運動を表出するには最終的には体性感覚ドメインで表象形成されているんじゃないですかというものだったんですね。

そしたら、感覚情報は視覚も体性感覚も言語もみんな大事ですよとのこと。でも、視覚情報が(盲目の人とかで)無くても運動表象出来ますよね、って聞いたら、今度は言語理解が最も大事なんだって。

ま、これについては、言語に絡めて運動発達の質問に繋げていったんだけど、成人の運動学習または表象形成における言語の役割って、どの程度のものなんでしょうね。僕ら、スポーツとかしてて上手になっても、何を学んだのか口ではなかなかうまく説明できなかったりしますよね。あるいは、言葉では理解していても、なかなか腕前自体は上達しなかったり。。。言語的理解が上達に最も大事だとして、こういうことはどんな風に説明できるのかな? スゴい疑問。

「僕らは運動と感覚を一体として捉えてる」とか、「一次運動野は社長じゃない」とか、僕がした質問とどう関わりがあるのか文脈の良く分からないコメントも出て来たりして、僕、何かちょっとワケ分かんなかったんだよね。一時的に失認状態だったかもしれない。。。

で、それはさておき、上の話とはこれまた全然関係ない話なんだけど、帰りの新幹線でほぼ何十年かぶりに一つ上の先輩に突然出会った。声かけた後、一瞬気づかなかったみたいなんだけど、名乗ったらすぐに思い出してくれた。そして顔思い出してくれるだけでなく、僕がその何十年か前に、

「僕、自分のことは好きなんですよ」

と言ったことを強烈に覚えてるってことを、顔思い出すのとほぼ同時に思い出してくれたみたい。

僕、確かに今でも自分のことは嫌いなわけではないけど、そんなこと言ったの、全然覚えてないんだよねぇ...

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