2013年10月19日土曜日

思いは態度で示そうよ

前回から読む)

昨夜はこの件で「申込」と「承諾」の話をしたんだけど、今日のナイトセッションは「意思表示」をテーマにしたいと思います。

本件は契約解除の態様が一つの争点になっているわけだけど、原告、被告、裁判官がみんな違うこと言ってるんですよね。

原告(僕):被告の責めに帰すべき債務不履行解除である。
被告(お相手さん):原告の責めに帰すべき債務不履行解除である。
裁判官:原告・被告の合意による合意解除である。

日本の裁判って弁論主義と言って、当事者が主張していない事実に基づき判決することはできないんだけど、本件では原告・被告の主張とは別に裁判官が勝手に合意解除を認定しちゃってるんですよね。。。

で、それはそれでかなりおかしいんことではあるんだけど、今日はひとまずこの問題は置いておいて、「意思表示」の話をしなくちゃいけない。

前にもここで書いたことなんだけど、「債務不履行解除」って契約の相手方が債務不履行を為した時に生じる解除権に基づき行われます。従って、裁判でこの解除を主張する時には、相手方の債務不履行を立証する必要があるわけです。

結論を言えば、本件においてお相手さんはその立証をすることができず、むしろ、お相手さんに債務不履行があったという認定がなされたわけですが、裁判官は双方の上記主張を退けました。。。

お相手さんの主張が退けられるのは、上記立証ができなかったわけだから理解できるとして、お相手さんに債務不履行があったんなら、僕の解除の主張は認められても良さそうなもんですよね。

裁判官らの理屈を言えば、契約解除に必要な「解除の意思表示」を僕がしていないということになるらしいのですが、これを理由に僕側からの解除を認めないとすると、それはそれで厄介なことになるんです。つまり、

「じゃ、どうやってこの契約は解除されたん?」

ってこと。

お相手さんによる債務不履行解除が成り立たないのは上記のとおりなんですが、裁判官らが認定するような合意解除もまた成り立たないんですよね。

昨夜も書いたことだけど、お相手さんは僕に対し一方的に解除通告して契約解除したと主張してるわけだから、解除することに対して僕に同意を求める意図などサラサラなく、合意解除の成立に必要な解除の「申込」はなかったわけです。「申込」がない以上、裁判官らが認定するような合意解除(契約)は成立するはずないんですよ。

だから僕の主張も退けるとなると、ほんとコレ、どうやって解除されたん?って思わざるを得ないんですよね。。。

原告(僕):被告の責めに帰すべき債務不履行解除である。
被告(お相手さん):原告の責めに帰すべき債務不履行解除である。
裁判官:原告・被告の合意による合意解除である。

全滅です。

で、僕はここでちょっと考えてみたんだけど、裁判官らがこだわる「解除の意思表示」って何なんだってこと。そう、裁判官のような権威を持った人たちの言うことって、まずは疑ってみなくてはなりません。。。

確かに民法540条に規定されるとおり、解除権の行使は「意思表示」によってしなくちゃいけないわけだけど、契約上のトラブルって、法律の素人同士が訳も分からずぐちゃぐちゃやり取りして、いつの間にか終わってたなんてことも少なくないと思うんですよね。だから皆がみんな「契約解除通知」みたいな標題付けた文書を相手方に送達して契約終了してるはずはないと思ったわけです。

僕の場合は、当時、債務不履行解除だの合意解除だの、そんなのあることも知らないほど無知だったわけで、「そちらが悪いんだから、それなりのお金は払って下さいよ」って「請求書」と題した文書をお相手さんに送付しました。そして、これが「意思表示には当たらない」との認定を裁判で受けることになったのですが、普通に考えればですよ、たとえ「解除する」と文書等で明言していなくても、解除権を有する人間が契約の終了に関わる清算を求める等のアクションを起こしていれば、その時点で形式はどうであれ、解除の意思表示がなされたと見なされるはずだと思ったわけです。

だってお役所への届出書みたいに解除のための書式が決まってるわけではないし、そういうのをどんどん見なしていかないと、本質よりも形式が優先されるということになりますからね。つまり、文書の内容は同じでも、標題が「請求書」だと解除を認めず、「解除通知」とあれば認めるといったことですよ。。。

そして、この類いのいちゃもんについて争われた裁判も過去に必ずやあるだろうし、僕の解釈に沿う形で判示した判例も必ずやあるはずだと思ったわけです。

そして調べてみたら、ちゃーんとありました、そういう最高裁判例 (^^v。

以下がその一つです。

「所論は、要するに、被上告人は上告人に対して家賃支払の請求をしたことがないし、契約解除の意思表示もしなかつたのに、解除を認定した原判決は違法である、というのである。しかし、原判決は、上告人が特別の事由もないのに、感情的対立から3年6月にわたつて家主である被上告人に全く家賃の支払をせず、将来もそれを期待しえない状況のもとに、被上告人が二ヶ月の猶予期間を置いて上告人に対し家屋の明渡を請求したことを確定した上で、かかる場合には、たとえ催告書中に契約解除の文言を使用していなくても、契約解除の意思表示と認めるのが社会観念上相当であるとしたものであつて、確定事実のもとにおいて右判断は正当として肯認できる。原判決に所論の違法はなく、所論は採用できない。」

【昭和37年05月01日最高裁判所第三小法廷(昭和31(オ)915)】

家賃を支払わない(債務不履行をなす)賃借人に対し、家主が家屋の明渡し(解除による効果の実行)を請求したことで家主による契約解除の意思表示がなされたと認定した判決です。

そしてまたこういうのもありました。

「しかし、被上告人は、本訴請求原因として、所論特約による契約解除のほか、予備的に本件訴状の到達による契約解除をも主張していること記録上明らかであり、そして本件はいずれにしても契約解除を原因として家屋等の明渡しを求めるものであることが明らかである。かくの如く解除権者が訴を提起し、契約解除による効果の実行を求めた場合には、当該訴状が相手方に送達された時に当該契約解除の意思表示があつたと解すべきであることは原判示のとおりであるから、原審が本件訴状の送達をもつて本件売買契約解除の意思表示が上告人に到達したものとしたのは相当であり、論旨は採るを得ない。」

【昭和36年11月09日最高裁判所第一小法廷(昭和35(オ)741)】

二つの判例とも、解除の意思表示が形式的になされていないことが争われた裁判ですが、いずれも解除権を有する者が解除の効果の実行(「家屋の明渡し」)を求めたことで意思表示があったものと認めるものです。

これらを本件に照らし合わせて考えると、解除権を有する者(つまりこの私ですね)が解除の効果の実行(支払い)を、請求書を送付したり裁判を提起したりして相手方に求めたわけですから、たとえ「解除する」との文言が相手方に発せられていなくとも、解除の意思表示がなされたと解するのが妥当であると言うべきなんですよ。

そして、これらの判例に従えば、本件における契約解除は、僕がお相手さんに上記「請求書」を送付した時点で解除の意思表示がなされ成立したことになるはずです。お相手さんの債務不履行(仕事放棄)に基づく解除ですから、僕が裁判で主張した「お相手さんの責めに帰すべき債務不履行解除」が成立したことになります。。。

上記のような最高裁判例がある中で、なぜ本件裁判官らはそれに反する判断を下したんでしょうか? その理由は聞いてみたいところではありますよね。え? そんな判例を知らなかったって? それはまず無いでしょう。だって、僕みたいな素人さんでもネットで簡単にアクセスできる判例なんですからね。裁判官なんだから、判決書く時に関連しそうな判例くらい調べるはずじゃないですか。

知っているのに敢えて判例違反を断行したのであれば、判例違反に加え、裁判官として倫理違反も犯していることになりますよね。

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