2012年9月25日火曜日

良きエンドユーザーとなるために

10月にレースがあるので暇を見つけては走るようにしてるんですよね。ハーフなんですけど。。今朝は6時に起きて、朝飯前に走りました。朝走ると気持ち良いですよ。なんか早朝に走っているだけで、自分がとても善良な人間になったような気分になれます^^。で、走っている時って、結構いろんなこと思いついたりするんですよね。

たとえば去年では、一般の人たちを対象に五感の話をしなくちゃならなくて、講演のタイトルどうしようかな、なんて考えながらある夕方に走っていたのですが、何とはなしに「あなたと世界をつなぐメカニズム」ってフレーズが浮かんできて、その後すぐに「五感の仕組みと第六感」というフレーズに繋がり、そのままトークの方向性が決まってしまったなんてことがありました。

それで今朝もいろんなアイデアが頭に浮かんだのですが、その一つが表題の「良きエンドユーザーとなるために」。よく考えてみれば、僕たちが何かを本当の意味でオリジナルにアウトプットできることってごくごく限られているんですよね。一日の生活のほとんどはデベロッパー(開発者)ではなくってユーザー(消費者)として物やサービスを消費してると思います。

ちょっと違う言い方をすれば、自分が売る商品の数よりも買う商品の数の方が圧倒的に多いということ。だから、良きエンドユーザーになるためのトレーニングを積むことって、自分の人生を豊かなものにする上でスゴく大事なんじゃないかと思うんですよね。たとえば、美味しい料理を出してくれるレストランや、心地よい音楽を聞かせてくれるミュージシャンを見つけたりするスキル。

で、ここから話はかなーり飛躍するんですが、リハビリの世界で学生やセラピストが学部や大学院で研究を学ぶ意味って、多くの場合、プロの研究者になるためのトレーニングというよりは、プロの学者が生み出す研究成果を自分の臨床に生かしていく、研究のユーザーとしてのスキルを習得することにあるんじゃないかと思うんですよね。

言い換えれば、断片的な研究エビデンスを繋ぎ合わせて臨床的な仮説を構築し、それを実践検証していくスキルです。こう考えると「臨床に役立つ研究」なんていう、リハビリの世界に昔からある依存的な言葉や思想も次第に消えていくんじゃないかと思うんですよね。研究を臨床に役立てるのは、本当のところは研究のユーザである臨床家なのですから。

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